芭蕉は俳句を広めて“俳聖”と言われて居ます。 あなたも曄歌youkaを広めれば“曄聖”と言われる人になります。 あなたには俳聖と並び称せられる人物になれる機会があるのです。

 

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すずめ双書

漢詩詞講座

 

 

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創作篇

新短詩詳説

 

 

 

漫遊途次

 

 

 

 

すずめ双書 中山逍雀漢詩詞講座 創作篇 新短詩詳説

緒言

 筆者の漢詩詞聯との関わりは、日中佛教文化使節団へ便乗参加した事から始まる。其れは文化大革命が終熄し、日中国交回復が為されてまもなくのときで有る。

 国交回復に拠り、日中間で屡々文化交流使節団に拠る交流が為された。筆者はただ他国の風に触れたいという軽い気持ちで、偶々聞いた仏教団体の訪中に便乗したのだ。

 幾度も僧侶の団体に便乗参加していると、中國側交流団の中に、当然と言えば当然だが、文学者や哲学者が居られ、奇しくも漢詩詞や哲学の話題を耳にした事が、漢詩詞や哲学に興味を懐く端緒と成ったのだ。

 斯くしてこの事を契機として、十幾度かは個人的な指導を受ける為に訪中を試みたり、数人の国文学教授から、彼らが老境に到るまでの長い期間、各位月一通と決めて郵便による指導を受けたのである。

 詩詞法を学べば、自ずと稚拙な作品でも発表したくなるのだ。私の作品は専ら中國の詩詞聯壇紙誌に投稿していた。

 だから其の詩法は中國の詩詞聯壇で通用することが前提で、その事に何の違和感も無かった。

 斯く謂う私も自ずと歳を取る。

 拠って此所に、長年に亘る学習で知り得た知識を整理して、上梓することとした。

 

【註】本冊編集には、手元の集合写真と詩友から贈呈された図画とを採用した。

 

 

 

 

 

 

 

 

新短詩詳説

01-曄歌
02-坤歌 03-瀛歌 04-偲歌
05-漢俳 06-短歌 07-百人一首

 

 

 

 

目次

第八章 スマホの活用 96

概論 5

第一章 新短詩四定形 6

1−1 曄歌(ようか) 7

1−2 坤歌(こんか) 8

1−3 瀛歌(えいか) 9

1−3−瀛歌百人一首 9

1−4 偲歌(さいか) 18

第二章 19

2−1 総論 19

2−2 音数律 21

2−3 音数律の基本 22

2−4 韻律 24

2−5 定形名 26

2−6 句法 26

第三章 書き換えと創作 27

3−1 曄歌 28

3−2 坤歌 29

3−3 瀛歌 30

3−4 都々逸 偲歌 31

第四章 漢俳 32

4−1 総論 32

4−2 句法 33

4−3 漢俳と俳句考 34

4−4 俳句を漢俳に変換 38

4−5 漢俳の定型 39

4−5−1 五字句+七字句+五字句 39

4−5−6 古典・文語・口語 40

4−6−1 三句三章三押韻 40

4−6−2 三句二章二押韻 40

4−6−3 三句二章二押韻 41

4−7  七言絶句を削って漢俳に 41

4−7−1 楓橋夜外 張継 41

 ⇔

4−7−10 夜雨寄北 李商隠 55

4−8 中國漢詩詞の現状 57

 ⇔

4−11 海外論文の視点 59

第五章 短歌 60

5−1 定形 60

5−2 作詩法 61

5−3 作例 63

5−4 現状評価 64

第六章 投稿作品集 64

第七章 瀛歌百人一首 83

第八章 スマホの活用 96

    総論 96

8−1 瀛歌 98

8−2 日本人の作品 99

8−3 日中の文字の違い 102

8−4 スマホでの応酬 103

8−5 【補解】 103

あとがき 104

            あとがき 106

 

【註】中華人民共和国の呼称を簡略して“中國”とする。

   現代漢民族の呼称を簡略して“中国人”とする。

概論

 

 我々日本の大和民族と、朝鮮半島を挟んだ大陸の漢民族との関わりは、永く然も深い。

 民族文化の根底には、言葉と文字がある。漢民族と大和民族の関係は、海を隔てた彊域であるが故に、古い時代には双方に繋がりは無かった。

 然し、耳で聞く言葉は双方に異なってはいたが、海を隔てた往来が成るにつれ、往来によって限られた人物だが、言葉による意思の疎通が為されるように成った。

 就中耳による意思の疎通には自ずと限度は有るが、文字に拠れば、時間と相手を選ばない意思の疎通が可能となる。

 大和民族は文字を持って居らず、然も文字は意思疎通の手段としての会話に次いで重要な文化で、然も自分から作らなければ成らないのである。だが大和民族はこの文字の自作を為さずに、漢民族の文字を利用したのだ。

 漢字は抑も漢民族の文字であり、大和民族文化の総ての事象に適応する事は出来ないが、大和民族は先ず漢字を本来の表意文字として利用し、次いで音の部分を二次利用して、表音文字として平仮名と片仮名を実用新案した。

 拠って日本語の表記は、表意文字の漢字と、表音文字の仮名との二者を混用使用して成り立っている。

 

 さて本講は詩歌を旨としているので、詩歌に的を絞って述べれば……。

 日本の詩歌について、歴史的に探れば幾多と言えるだろうが、現在多く通用している定型は‘俳句’‘短歌’‘川柳’‘都々逸’程であろう。

 この四定型は日本独自の定型詩歌で、其の専家は意図して海外への普及に努めては居るが、未だに其の途次である。

 さて、俳句、短歌、川柳、都々逸は何れも漢字仮名交じりの文体である。

 視点を変えて、日本を訪れる外国人は多いが、その中でも中国人は日本語が程々に読めるのである。

 其れは、日本語には中国発祥の漢字が沢山使われているからで、然も風聞に拠れば、漢民族は世界人口の二十パーセントは居ると言われて居り、そのうちの如何ほどが漢字を知っているかは定かで無いが、何しろ数が多い。

 日本詩歌の普及対象は欧米に限らないのだから、この現実を普及手段の一つとして使わぬ手はあるまい。

 

 拠って著者は此所に、漢字文化圏通用詩歌として、 曄歌 坤歌 瀛歌 偲歌 の四定型を発明した。

 

 次いで中國からも、近年“漢俳”と“短歌”が提唱された。

 

 

 

第一章 新短詩四定形

 

 それぞれの國の文化は、その國丈で成り立つのでは無く、例えば日本には漢字文化圏の文化が、古い時代から伝来し、精神文化に多大な影響を及ぼしている。殊に中國の詩歌は此れが外国の詩歌であるにも拘わらず、日本独特の文化と見間違える程色々な分野に流布し、盛んに愉しまれている。

 文化の交流には絵画や演劇、小説や詩歌など枚挙に暇が無いが、然しどれを取っても、簡単に誰でも出来る訳でもなく、お互いに一方通行の部分が多い。

 その事の一番妨げに成っているのは言葉の壁である。

 対象を漢字文化圏に限れば、現在の中國口語詩歌は、日本人は勉強をしないと読めず、ましてや作ることは恐らく無理である。

 然し幸いにも簡単な古典漢詩なら、勉強せずにも読み愉しむことが出来るのである。

 詩歌は簡単な言葉で人の心を映しだし、心と心を通わせるには最も適した文学様式である。もし此れが日本人にも読み且つ作ることが出来る程の、易しい詩歌様式ならば、今后の国際文化交流に一途を拓くものと確信する。

 拠って此れが、漢字文化圏通用詩歌である。

 

 漢字文化圏に共通する新たな詩形の提案

 曄歌 坤歌 瀛歌 偲歌

 

 

 漢字文化圏に共通する新しい詩の名前を「曄歌」「坤歌」「瀛歌」「偲歌」とし、「光、土、水、人」とは「天地海民」を表し、即ち日中友好と一衣帯水の意を表す。

 

☆なお 曄歌は、日本のと中華のの合成文字である。

 

 四定形の構成要件

 

言葉   中国語書面体と文語体

 

形式   日本詩歌音数律

 

韻律   中国人は必須、日本人は自由

 

押韻箇所 内容意味上の末字

 

四声平仄 不要

 

 

 

1−1 曄歌

 

曄歌 形式 漢字 三字+四字+三字

   合計字数=漢字十字

   内容 季語必要 自然万物 天地自然

      人生幽邃 (与俳句相同)

 

 日本詩歌の多くは、自己を憂う事に視点を置くが、果たして海外の詩歌は何処に視点を置き、何を訴えているのか、その相違点をを知る必要がある。

 拠って曄歌の普及を図るには、日本詩歌と海外詩歌との相違点を把握し無ければ成るまい。

 

 日本人には“季語”は周知の概念であるが、海外では周知とは限らないので、その事を念頭に置く必要がある。

 今後の課題として、国際性有る新たな季語の選定と創設が求められ、次いで、既存季語に対する国際性有る季語解説書の編纂が求められる。

 この事は、国際性を称える日本俳壇の配慮による。

 

 

 

1−2 坤歌

 

坤歌 形式 漢字 三字+四字+三字

   合計字数=漢字十字

内容 世間諸事社会趣聞(与川柳相同)

 

 坤歌は川柳の漢字版で、川柳は諧謔と批判を根底に据えている詩歌である。然し此所にも日本詩歌の内向性が顕在で、日本人作品の殆どは自己から脱却して居ない。

 即ち自己から脱却できない作品は、単なる自己満足と基を同じくする。

 

 果たして此の内向性が作品として海外通用するのか?比較検討の必要がある。次いで、諧謔と批判であるが、日本人のように自己収斂なら差し障りないが、他者に拘わる場合は何処までが許容の範囲かを見定める必要がある。

 諧謔も批判も他者と拘わらなければ、単なる自己満足の域を出ず、川柳・坤歌の能力が発揮できないとも言える。

 自己を脱却出来るのか否か、腕の見せ所である。

 

 

 

1−3 瀛歌

 

瀛歌 形式 漢字 三字+四字+三字

         +四字+四字

   合計字数=漢字十八字

   内容 天地自然人生社会世間趣事(与短歌相同)

 

 瀛歌は和歌の漢語版で、和歌はその歴史も古く、内向性と外向性を共に備え、内と外に均整のとれた詩歌として、海外でも知る人は多い。

 

☆参考として、著者の下に寄せられた漢民族詩家に拠る作品の一端を示し、海外でも和歌は理解されている証とする。

 

 

1−3−瀛歌百人一首

 

☆は押韵 中華新韵

 

 

一−天智天皇 寒韵

 

秋熟田、 ☆

看守蓬屋、

粗依然、 ☆

我衣袖子、

被露湿沾。☆

 

  秋熟田、看守蓬屋、粗依然、

我衣袖子、被露湿沾。

 秋の田のかりほの廬の苫をあらみ 

我が衣手は露に濡れつつ

 

 

二−持統天皇 寒韵

 

送春還、 ☆

夏天來臨、

白妙衣、

飄飄晒干、☆

天香具山。☆

 

  送春還、夏天來臨、白妙衣、

飄飄晒干、天香具山。

 春過ぎて夏來にけらし白妙の

衣ほすてふ天の香具山

 

 

 

三−柿本人麻呂 微韵

 

足曳兮、

山鳥的尾、☆

下垂尾、 ☆

長長夜帷、☆

只獨睡?。

 

  足曳兮、山鳥的尾、下垂尾、

長長夜帷、只獨睡?。

 足曳の山鳥の尾のしだり尾の

ながながし夜をひとりかもねむ

 

 

 

四−山部赤人 姑韵(仄韵)

 

田子浦、 ★

心躍去了、

真白妙、

富士高嶺、

正在雪舞。★

 

  田子浦、心躍去了、真白妙、

富士高嶺、正在雪舞。

 田子の浦にうち出でて見れば白妙の

ふじの高嶺に雪は降りつつ

 

 

 

五−猿丸大夫 候韵

 

深邃山、

紅葉?游、☆

聴鹿聲、

鹿啼時候、☆

秋天悲愁。☆

 

  深邃山、紅葉?游、聴鹿聲、

鹿啼時候、秋天悲愁。

 おく山にもみじふみ分け鳴く鹿の

聲きく時ぞ秋は悲しき

 

 

 

六、中納言家持 豪韵

 

銀河鵲、

在架上橋、☆

降的霜、

白趣看着、☆

夜晩深了。

 

  銀河鵲、在架上橋、降的霜、

白色看着、夜晩深了。

 

 かささぎの渡せる橋におく霜の

白きを見れば夜ぞふけにける

 

 

 

七、阿倍仲麻呂 候韵

 

廣漢秋、☆

仰懐昔日、

在春日、

三笠山頭、☆

相同月呀。

 

  廣漢秋、仰懐昔日、在春日、

三笠山頭、相同月呀。

 天の原ふりさけ見れば春日なる

三笠の山に出でし月かも

 

 

 

八、喜撰法師 寒韵

 

我草庵、☆

都城的巽、

然而住,

憂時代山、☆

人們説?。

 

  我草庵、都城的巽、然而住,

憂時代山、人們説?。

 わが庵は都のたつみしかぞすむ

世をうぢ山と人はいふなり

 

 

 

九、小野小町

 

花彩色、

已褪色了、

只徒然、

已我衰老、

注視時期。

 

  花彩色、已褪色了、只徒然、

已我衰老、注視時期。

 花の色はうつりにけりな徒に

我が身世にふるながめせし間に

 

 

 

十、蝉丸

 

街談聴、

去也還的、

分開身、

也知也否、

逢坂関口。

 

  街談聴、去人也還、分開身、

也知也否、逢坂関口。

 これやこの行くも還るも別れては

知るも知らぬも逢う坂の関

 

 

 

十一、参議篁

 

汪海洋、

向八十島、

開始劃、

對人請告、

海士釣船。

 

  汪海洋、向八十島、開始劃、

對人請告、海士釣船。

 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと

人には告げよ海士のつり舟

 

 

 

十二、僧正遍昭

 

天吹風、

雲的通路、

請閉上、

乙女身姿、

稍微停止。

 

  天吹風、雲的通路、請閉上、

乙女身姿、稍微停止。

 天津風雲の通い路ふきとじよ 

をとめの姿しばしとどめむ

 

 

 

十三、陽成院

 

筑波嶺、

自峯流流、

身奈川、

恋慕心積、

爲鬱鬱淵。

 

  筑波嶺、自峯流流、身奈川、

恋慕心積、爲鬱鬱淵。

 筑波嶺の峯より落つるみなの川

恋いぞつもりて淵となりぬる

 

 

 

十四、河原左大臣

 

陸奥兮、

忍草摺染、

因爲誰、

亂的那譯、

因不是我。

 

  陸奥兮、忍草摺染、因爲誰、

亂的那譯、因不是我。

 みちのくのしのぶもぢずり誰れ故に

乱れそめしにわれならなくに

 

 

 

十五、光孝天皇

 

爲了君、

出來春野、

摘嫩菜、

我衣袖子、

一邉下雪。

 

  爲了君、出來春野、摘嫩菜、

我衣袖子、一邉下雪。

 君がため春の野に出て若菜つむ

わが衣手に雪は降りつつ

 

 

 

十六、中納言行平

 

離別時、

在因幡山、

峯上生、

因聴有松、

立刻歸得。

 

  離別時、在因幡山、峯上生、

聴有松、馬上歸得。

 立ち別れ因幡の山の峯に生ふる

松としきかば今歸り來む

註:松是樹木的名称,不?,其發音有待于同?。説着松,不?,指向着本意有待于的事。

 

 

 

十七、在原業平朝臣

 

千早兮、

雖不聴古*

竜田川、

唐的紅色、

這様水流。

 

  雖不聴、神話時代、竜田川、

唐的紅色、這様水流。

 千早振る神代も聞かず竜田川

諱紅に水くるるとは

註:所謂古説神話的時代

 

 

 

十八、藤原敏行朝臣

 

住吉浦、

滾來岸浪、

夜晩也、

在夢密會、

忌憚衆目。

 

  住吉浦、滾來岸浪、夜晩也、

在夢密會、忌憚衆目。

 住みの江の岸によるなみよるさえや

夢のかよい路人目よくらむ

 

 

 

十九、伊勢

 

難波灘、

短的芦茎、

節間也、

這世不遇、

?説過??

 

  難波灘、短的芦茎、節間也、

這世不遇、?説過??

 難波潟みじかき芦のふしの間も

あはで此世をすぐしてよとや

 

 

 

二十、元良親王

 

使煩悩、

今已完全、

難波灘、

竭盡身体、

想遇見好。

 

  使煩悩、今已完全、難波灘、

竭盡身体、想遇見好。

 わびぬれば今はただ同じ難波なる

みをつくしても逢はむとぞ思う

 

 

 

1−4 偲歌

 

偲歌 形式 漢字 四字+四字+四字+三字

   合計字数=漢字十五字

   内容 男女情愛人生趣事 (与都々逸相同)

 

 偲歌は都々逸の漢語版である。以前NHKに中道風迅洞先生主催の都々逸講座があり、世間でもそれなりに嗜なまれていたが、昨今は殆ど耳にしなくなった。

 かと謂って近頃耳にしなくとも、海外では男女の情愛を蔑むこと無く扱われ、漢詩詞にも“香奩体”と言う詩体も健在なのに、日本の詩歌で此れを欠く事は却って異端となるを危惧し一類に加えた。

 

 

 

第二章

 

2−1 総論

 

 漢民族の詩歌が日本に伝来してから既に千数百年、其の精神文化と美意識は日本の文化に深く係わりを持ち、その後の日本詩歌の発展に多大な影響を及ぼしている。

 何故それほど迄に漢民族詩歌が、日本の文化に溶け込むことが出来たのか、其れは漢民族の文語体文章を翻訳せずに日本語で読む方法、即ち「漢文訓読法」の功績に依ることが頗る大である。

 もし漢詩を翻訳したなら恐らく内容は伝えることが出来ようが、詩歌の条件である「リズム」は消滅し、其の作品は既に詩歌ではなくなってしまうのである。

 だが漢文訓読法を活用すれば、特別の翻訳者の手を借りずとも、少しの勉強をすれば日本人一般が漢語文の詩歌を原文のまま安易に楽しむことが出来るのである。

 漢詩の格律は、文字数音数律の格律、押韻の格律、四声平仄の格律の三要素から成り立って居り、然も漢語詩歌に於いて、音数律は最も根元的根幹的な要素だと言える。

 訓読法では根元的根幹的な文字数音数律の格律は、ほぼ原型に近い形で移行され、然も押韻の格律と平仄の格律は日本語の発音が異なるので再現できないが、独特な訓読法の雰囲気によって、其れら二者の喪失を少なからず補い、詩歌としての体裁を保っているのである。

 これに対し日本詩歌は、先ず文字と文法が相違し、更に格律は原則として文字数音数律の格律のみで成り立ち、押韻の格律を含むものは例外的で、平仄の格律は全く存在しない。

 更に句法章法に於いて、漢語の詩歌は表意文字の特徴から物事を大きく捉えてこれを凝縮させ、日本の詩歌は物事を小さく捉えてこれを拡散させるなどの相違点がある。

 漢民族の詩歌は、古くから日本の民衆に愛好されているのに、日本の詩歌は其の侭の形で、漢字文化圏の人々に受け入れられるかと云うと、否と云わざるを得ない。

 日本の文化と漢民族の文化、似ているようで実は全く似ていない文化、文法然り、文字は半々、句法然り、章法然り、これ程までに相違点の多い文化ではあるが、音数律と文字半々の共通点を拠り所に双方に共通の認識をもてる詩の格律を創出する。

 此の余りにも共通性のない双方の詩歌から、概ね双方に共通する形式を創出するには、先ず漢民族詩歌と日本の詩歌の比較を試み、双方に共通な要素を捜し、これを新しい格律詩の根幹に据える事が妥当である。

 ところで詩の格律を模索する前に、先ずどちらの國の言葉で綴るかという事を決めなければならない。

 幸いにも日本人は訓読法のお陰で中國文語体は読めるが、中国人には日本の漢字仮名混じり文は読めず、中國の口語詩歌は概ね文字数が多いが、日本の詩歌は概ね文字数が少ない。

 これら読める読めないの問題、文字数の多い少ないの問題を勘案して、綴りは双方の人が読める中國文語体若しくは書面体、詩の形式は文字数の少ない日本の詩形に准処する事とした。

 詩歌の形式には、外見的な構造として音数律、平仄律、韻律等があり、平仄律と韵律は日本人の感覚の外で、内面的な構造としては、叙事内容と句法章法の問題がある。

 先ず双方に共通な格律は、根幹的な要素である音数律で、他の韻律と平仄律は創設する詩形を中國文語体若しくは書面体と決め、新たな詩体には韻律を付加することとする。

 先ず音数律を検討して、新たな詩の外観を決め、次に内面の問題として叙事内容、句法章法の分析検討を加える。

 先ず外観として分析の対象を文字数の少ない日本俳句や川柳と決め、これの文字数音数律を分析して、この音数律に該当する中國文語体の詩形を当てはめる。

 而るにその結果として、俳句や川柳や短歌や都々逸、今様、民謡、歌謡曲など、日本の音数律を基本とした詩歌には、概ねどれでも応用することが出来る。

 

 

 

2−2 音数律

 

 文字 拍 聯 の関係を図示すると次の如くで、聯には余韻を含み日本詩歌の重要な要素となっている。

 

 

 

 此処にリズム、文字面、意味の三者が一致している作品を例示する。

 

聯 聯 聯

 
                         

 

 ふるいけや○○○ かわずとびこむ○ みずのおと○○○                      松尾芭蕉

 

 古池塘○○ 青蛙躍入○ 水聲響○○

注;○印=余韻

 

 日本の詩歌の構造は、仮名一字一音節の音節のリズムの上に、仮名四文字一拍、二拍一聯の拍節リズムが律動しているが、中国詩の場合は一字一音節、二字一拍のリズムである。

 漢字一字一音節一概念を基本とする漢語と、仮名一文字一音節一概念が例外的にしか成り立たない日本語詩歌を比べた場合、凡そ漢字一音節は仮名二音節に相当する。

 それならば、仮名一七文字一七音節の俳句は、機械的に云って漢字八字半に相当するが、然し日本語には一文字一概念の文字が低い確率ながら存在するので此の点を考慮に入れれば、漢字十字が妥当と云えよう。

 以上の考察によって、もし俳句や川柳と同じ音数律を持つ漢字句を想定すれば、漢字三字+四字+三字となり、同様の考察から短歌と同じ音数律を持つ漢字句を想定すれば、漢字三四三四四字となり、都々逸は四四四三字、今様は四三四三四三四三字、民謡や歌謡曲の多くは四四四三字となる。

 

 

 

 

2−3 音数律の基本

 

 音数律を基本とする日本の詩歌は、殆どの場合仮名五文字は漢字三字に、仮名七文字は 漢字四字に、仮名九文字は漢字五字に置き換えることが出来、例えば民謡や歌謡曲は七 七七五が多く、今様は七五七五で、何れの場合も其のリズムを壊すことなく、容易に漢字に 置き換えられる。

 

酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の 此の槍を

 

七五七五          黒田節  福岡県民謡

 

 お前お発ちか お名残惜しい 名残情けの くくみ酒

 

七七七五           お発ち酒 宮城県民謡

 

 幻の 影を慕いて 雨に日に 月にやるせぬ 我が思い

 

五七五七五       影を慕いて 藤山一郎

 

花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道

 

七五七五  旅の夜風 霧島一郎

 

君が御胸に 抱かれて聞くは 夢の舟歌 鳥の歌

 

七七七五  蘇州夜曲 渡辺はま子

 

 優しさと 甲斐性の無さが 裏と表に 付いて居る

 

五七七五  雪椿 小林幸子

 

 貴方変わりは 無いですか 日毎寒さが つのります

 

七五七五  北の宿から 都はるみ

 

 例外が無いとは言えないが、殆どの場合決められた漢字総数の範囲内に、収める事が出来る。

 

 次にリズム、文字面、意味の三者が異なる作品を例示すると、小林一茶の句、

「やせがえる まけるないっさ ここにあり」は文字面では五七五に成っているが、意味の上では、「やせがえる まけるな いっさここにあり」と成り、五四八と成る。

【註】異論もある。

 

 文字面では

やせかえる○○○ まけるないっさ○ ここにあり○○○ 痩せ蛙   負けるな一茶  此処にあり

痩青蛙 莫退一茶   這裏

 

 意味上では

やせかえる○○○ まけるな○ いっさここにあり○○○

痩せ蛙 負けるな 一茶此処にあり

痩青蛙 莫退  一茶在這裏

 

【註】此の詩歌には別に作者を主体とした解釈がある

 

 以上の如く、漢字三字+四字+三字の合計十字で一つの詩体を構成すれば、文字面と意味とが異なる場合でも適宜対応することが可能と確認された。

 この事は俳句、川柳、短歌、都々逸、今様、歌謡曲、民謡などの日本の音数律を基本とする詩歌には、仮名五字は漢字三字、仮名七字は漢字四字、日本語九字は漢字五字に置き換えれば、殆どの場合、原作のリズムを壊さずに対応することが出来る。

 

 

 

2−4 韻律

 

 中國の格律詩は、決められた句末に決められた母音を持つ文字を配置する事が必須条件となり、これを韻といい、古典の分類に於いては一〇六韻、現代の分類に於いては七二韻、何れの場合も日本の母音の数アaイiウuエeオoの五音に比べて比較にならぬ程多いことに氣付く。

 日本の詩歌でも母音を揃えることは出来るが、余りにも其の数が少ないため、殆どの要望に応えることは出来ず、詩歌の条件の主流を為すには到らなかった。

 

さいた

さいた

さくらがさいた

ゆく水の

かえらぬ如く

ふく風の

めに見ぬ如く

あを浪に

のぞみは絶ぬ

しら雲に

なみだは尽ぬ

 

 

 この例をも見ても解るように、日本の詩の場合は母音を揃えると云うよりも、繰り返し言葉の結果として、偶々同じ母音に成ったと云う事である。

 斯くして韻律に対する意識は希薄で、たとえ日本人に押韻を求めても、大方の人は韻に対する基本的認識すらないので、結果として書物による字面だけの認識となる。

 ただ此処に創られる新たな詩形は、中國文語体或いは書面体にする事が決まっている以上、日本詩歌に韻の認識が希薄であることは事実で有るので、自由裁量とした。

 然し中国詩歌では押韵が重要な要素の一つで、既存の詩形を配慮すれば、概ね意味上の句末に押韻して居るので、新たに作られる詩も意味上の句末に押韻する。

 恐らく有識者からはお叱りを受ける事は必定であるが、前記の理由により、日本人に押韵を求めると、作れる人が大幅に減る事が予想され、作れる人が減っては本旨に悖ると言わざるを得ない。

 拠って韻の問題は中国人にのみ適用し、日本人には自由裁量とする。

 然も現在は中国でも、非押韻の散体詩が屡々見受けられるので、日本人の作品が非押韻形式でも宜しいと云うことは、あながち不合理とは云えない。

 然も旧態詩にあっても外来語の使用もあり、抑もアルフアベットの使用も、希に見受けられる。

 

 

 

2−5 定形名

 

 中國の詩歌もその述べる内容によって個別の格律名を持っている場合もあるが、日本の詩歌ほど鮮明ではなく、中國には夥しい数の定型詩歌が有るので、叙事内容に依って、詩形を選び作詩しているのが現状で、言い換えれば、叙事内容が主で詩形が従と云う関係である。

 本論は国際交流を前提としての考察であるから、叙事内容に依って個別の詩歌名を命名し、日本の事情を勘案し、個別の名称を与えて有る。

 即ち叙事内容によって、俳句のような内容は「曄歌」、川柳のような内容は「坤歌」、短歌のような内容は「瀛歌」、都々逸の様な内容は「偲歌」と命名した。

 

 

 

2−6 句法

 

 中國の定型詩歌の殆どは、一句四字、五字、六字、或いは七字で、主語+述語+目的語の全部の要件を備えるか、或いは主語+述語或いは述語+目的語の要件を備え、殆どの場合一句で完結した意思表示をして居る。

 然しながら、日本の詩歌は仮名五文字若しくは仮名七文字に於いて、主語+述語+目的語を備えていない場合も珍しくは無い。

 

 

 

第三章 書き換えと創作

 

 日本の定型詩歌の句に於いては、一句だけで完結した意思表示が出来るのはごく希で、俳句の五七五の三句全体でも、僅かに二つの事柄を述べることが出来るに過ぎない。

 日本詩歌は表音文字を基調とし、それ故に叙事の少なさは免れられないが、却って其れが欠点ではなく、日本詩歌の特徴と成っている。

 日本詩歌の文字が足りないが故の曖昧な表現は、却って読者の想像心を喚起させ、殊に俳句は季語と相乗して漢字に引けを取らぬ表現力を発揮する。

 俳句は連歌の発句部分が独立した詩形で一七文字で、収納できる事柄がせいぜい二つとは、作者の思いを表現するにはかなり厳しい条件で、其処で重要な要件を担うのは季語の活用で有る。

 季語とは季節毎に割り振られた事柄を表す言葉で、季節は其れだけで春なら感傷青春などの事柄を内包し、夏なら苦熱苦暑、秋なら悲秋感秋、冬なら極寒寒苦などの事柄を既に内包して、更に様々な事柄がそれぞれの季節の上に乗せられて、多層構造を為し、それらの相乗効果に依って心の深層に働きかけ、文字数の域を遥かに越えた表現効果を持つのである。

 これは、中国詩の故事典古などとは多少趣を異にするが、文字数以上の表現効果のあることは同様である。

 日本は四季ががはっきりして、人々の生活も四季を基調として生活しているので、四季の観念は心の深層にまで及んでいて、四季のはっきりしない四季に無頓着な人々には、季語の本当の意味を理解させることは困難である。

 俳句と同じ文字数で川柳が有るが、この場合は季語を条件とはしないが、現実社会を取り込む事によって、耳目と相まって読者の内面に働きかけ、句意を拡大させて、中国の竹枝柳枝詩にほぼ同じで有る。

 

 日本の詩歌で句中に決められた文字を織り込む「織り込み」の技法があるが、中國の詩歌にも織り込みの技法はあり、句の頭字に織り込む、或いは末字に織り込む、或いは隠して織り込む等、作詩者の思いによって様々である。

 

 依って本論の漢字圏通用詩歌に於いても日本で考えられる種種の技巧は、殆ど用いることが出来、織り込み坤歌や織り込み偲歌など興味有る作品が期待できる。

 

 

 

3−1 曄歌

 

桐の葉の 鳴り出でにけり 冬構え

梧洞葉 瑟瑟翻飛 作冬衣

朝顔に 釣瓶取られて 貰い水

喇叭花 藤纏井縄 担河水

小春日や 石を噛みいる 赤蜻蛉

初冬暖 歇息青石 紅蜻蜒

花散って 又しずかなり 園城寺

春花残 門前冷落 園城寺

空蝉や ひるがえる葉に とりついて

蝉脱殻 傍依枯葉 風巻落

和唱友 其息不還 悲乎寒

新婚女 小顎沈埋 秋薔薇

 

 

3−2 坤歌

屁を放って 可笑しくも無し 独り者

放響屁 笑者尚無 単身漢

細君が 才女でお焦げ 喰わせられ

才女妻 多有不能 吃焦飯

新婚は 炬燵の中も 足を触れ

新婚楽 飯卓台下 脚挽脚

【註】炬は日本固有の施設

ホステスの 視線やさしく 飲み過ぎる

酒?女 嬌情難却 酔如泥

金銀銅 薬検對策 奥運会

滾?雷 夜闌人静 鐵騎威

成人歓 衣裳華麗 就業難

 

 

3−3 瀛歌

 天の原 ふりさけ見れば 春日なる

三笠の山に 出でし月かも

  天蒼芒 仰首遥望 奈良辺

三笠山頭 旧時明月

 淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば

心もしぬに 古思ほゆ

  淡海兮 夕波千鳥 聞鳥啼

極目愁思 傷懐往者

 死に近き 母に添い寝の しんしんと

遠田の蛙 天に聞こえる

  終期近 子伴母榻 夜??

遠田蛙鳴 自天来兮

 幾山河 越えさり行かば 寂しさの

終てなむ國ぞ 今日も旅行く

  幾多難 咬緊牙関 怎奈何

苦海無邊 再鼓風帆

不器男

加賀千代女

改寫

村上鬼城

改寫

鬼貫

改寫

素十

改寫

今田述

今田述

 

 

 

 

改寫

戸部好郎

改寫

 

改寫

 

戸部好郎

改寫

徐一平

徐一平

今田述

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改寫

 

 

  繋軽船 涼気侵肌 人盡散

十三夜月 遥挂松枝

 

  熊野路 有瀑有山 神佛郷

隠々鐘声 瀟々秋雨

 

註 熊野路位于和歌山県中部、是日本著名歴史文化地区、自古以来就有゛熊野古道゛之称。

 

  酒一巵 酔菊花陰 邯鄲夢

五柳先生 慌張閉門

 

 

 

3−4 都々逸 偲歌

 

 こぼれ松葉を 見やしゃんせ

枯れて落ちても  二人連れ

  落地松針 命絶情摯 双々兩々 連理枝

 

 真面目亭主に ちと飽きたけど

だけどこちらも かなり年

刻板夫君 徒然乏味 奈何霜鬢 斂芳心

 

 色が黒くて 惚れ手が無けりゃ

山の鴉は 後家ばかり

  哀我顔黒 不入夫君 南山老? 多孤身

 

玉股酥胸 且為我枕 撫絃弄指 樂銷魂

 

欲飲無酒 酒家路遥 路遥有脚 苦無銀

 

糟糠嬌嗔 若返青春 老夫老妻 旅行去

 

東瀛扶巵 南國淘金 青梅竹馬 淡如雲  

 

 

 

第四章 漢俳

 

4−1 総論

 

 漢俳と言う定型の名称は、中華人民共和國建國以後に誕生した名称で、歴史は極めて浅い。この定型が、曄歌・坤歌・瀛歌・偲歌と基本的に異なる点は、中国側が、2005年3月に、中國北京に於いて、漢俳学会を設立し、其の設立祝賀の席に、日本の俳壇を招いて、漢俳について次のように述べた事である。

著者右2 中華人民共和国 文化部部長左2

中國漢俳学会設立記念式典 左2外務省文化部部長劉徳有先生 右2著者

【註】日本と中国では行政組織名称が異なるので……。

 “漢俳は誕生の端緒も、日本俳句と縁があり、詩歌としても、多くの共通点が有るので、中日詩歌交流媒体の一つと成った!”

 漢俳は、この日を堺に大きくその性格を転換したのである。漢民族と詩歌の関係の一端を述べれば、漢民族は現在でも過去でも、訴えようとする詩想に對して、其れを収めるに相応しい定型を選ぶのである。則ち詩想が先で定型が後の関係である。

 もし相応しい定型が見当たらなければ、自分で新たな詩型を作り、湧き上がる詩想を収めるのである。

 依って、定型の名称は得ていないが、漢字五七五の文字配列は、古い時代から、多くの独自詩型の一つとして、存在していたのである。

 

 

 

4−2 句法

 

 漢俳の綴りは、漢字五字句+七字句+五字句の構成で、更に五字句は二字+三字の構成で、七字句は四字+三字の構成である。四字句は一字+三字の構成と二字+二字の構成と三字+一字の構成である。

 これは、仮に四字を二字+二字とすると

□□□□□+□□□□□□□+□□□□□

となる。

 これを看ると、四字と三字の組み合わせが基本にある事が分かる。

 漢詩詞創作に携わって居る者には蛇足かも知れぬが、「読んでくれる者は素人である」と言う前提を疎かにしてはならない。多少の学習をした者には、たわいのないことでも、素人にはとても難しい!と言う現実を知らねばならない。

 日本人に謂えることだが、構文が複雑になればなるほど、間違いを犯しやすい!という現実がある。日本人の知らぬ語法が多々有るので、漢民族と雖も、語法に適って居さえすれば、如何に複雑な構文でも、綴った者の意図を正確に読み取って呉れるとは限らない。

 其れには、簡単な構文で!

      簡潔に述べること!

の二点を疎かにしてはならない。

 漢詩詞の綴りは二字・三字・四字・五字・六字・七字・八字・九字……と有るが、七字の句が綴れれば、殆どの句に対応できる。

 漢語の構成は、主語+述語+客語の三要件と、その並び順が決まっていて、文字数が少く単純な構成なので、この基本形を守れば、殆ど支障なく対応できる。

 主語も述語も客語も、それぞれが単独で用いられるとは限らず、適宜それらを修飾する言葉を付帯して用いる。

 漢語では、主語が予め解っている場合には、往々にして省略される場合がある。依って読者は前後の関連から導き出した仮設の主語に基づいて読む事となる。作る側はその逆で、○+述語+客語の構成となる。(○;省略された主語)

 勿論、述語を自動詞として用いる場合は、客語は無い。依って主語+述語の構成となる。

 内容の綴り方として、一句に幾つの事柄を書き込むかと言う問題がある。一句に一意・二意・三意……と有るが、本稿では一句三意の作例までを示した。また、主語・述語。客語の組み合わせも、類例を参考にして、新たな組み合わせを研究することも可能である。

 以下の解説は七字構成だが、五字の場合は二字減らせば良いだけのことである。

 

 

 

4−3 漢俳と俳句考

 

 中国人は詩想に相応しい詩型を選び、其の詩想を収容するので、詩想が先で詩型は後の関係である。

 更に漢詩詞は首尾一貫が原則で、綴られた語彙、即ち記載された情報を順次読めば、詩想が読み取れる構造である。提供された情報を順次読み進む行為そのものが、創作者と読者を一体化する事に繋がる。この原則は100句の作品でも、3句の作品でも同様である。

 日本詩歌には短歌と俳句と、その他の詩歌がある。俳句には、その根を同じくする短歌が有る。依って俳句と短歌を対比して、俳句の特徴を探ることとする。

 俳句にも短歌にも、双方に叙法の決まり事がある。然し殆どの決まり事には融通性があって、絶対条件ではない。然し、使用文字数の違いは絶対条件である。

 短歌の仮名三十一文字は表意文字約十九字に相当し、概ね十六字令、或いは五言絶句に相当する。これに対し俳句の仮名十七字は表意文字約十字に相当し、曄歌に相当する。

 十六字令や五言絶句と短歌を比べれば、短歌の叙法は漢詩詞の其れと殆ど同じで、記載された情報を順次読めば、詩想が読み取れる構造である。

 短歌にしろ俳句にしろ、詩想を訴えるには、少なくとも首尾一貫した情報が提供されなければ成らない。然し乍ら短歌に対して俳句の情報量は余りにも少ない。記載された情報を、そのまま読み取っても、詩想を読み取ることは極めて困難である。然し俳句の情報不足は敢えて為せる詩法であり、この情報不足を巧妙に活用する俳句独特の詩法がある。

 ご存じのように鼎の足は三本だけである。要所を弁えた場所に足があるので、安定して倒れもせず、古来より安定の模範として尊ばれている。俳句はこの鼎と同じで、少ない情報提示乍らも、微細から極大まで、あらゆる詩想に対応出来る巧妙な詩歌である。

 俳句の構成要点は、句の配置にある。則ち、読者が思惟可能な限りに、情報提示を極力少なくし、句と句の隔たりを大きくして、その隔たりを読者の思惟によって填めさせる。

 読者は提供された情報を基点に、独自に思惟を繞らす。例えば三個の情報の提示が有れば、各々を基点に思惟を繞らせば、結果として首尾一貫の情報となる。この思惟を繞らす行為こそが、作者と読者が一体となる事象であり、俳句の特質である。依ってこの詩法は微細な詩想から、広大無辺の詩想まで縦横に対応できる。

 漢詩詞作者は多くの情報を提示して、読者と詩想の一体化を図るが、俳句作者は極限まで情報提示を控えて、其れが却って読者の思惟を喚起させる。読者は思惟を繞らして、情報の首尾一貫を探り、思惟を作者と共有し詩想を感得する。この行為そのものが作者と読者の一体化で有る。

 中国人は定型に拘らない。現在通用の定型は概ね百餘で、此を詩想に応じて適宜使っている。其れに引き替え、日本には定型の数が極めて少ない。更に一人で幾つもの定型を扱う者は少なく、定型に固執する傾向がある。

 人は一面的な存在ではない。当然幾多の詩想を持っている。其れを限られた定型に収めるには、その為の工夫が必要である。

 漢俳と俳句は一面共通点が有りそうな名称だが、その基本は全く異なった詩で有る。

 俳句の仮名十七文字で表せる情報量は、漢字約十字に相当する。情報量としては極めて少ない。此だけ少ない情報量では、小さな詩想にしか対応できないが、詩想の要求は千差万別である。然し俳句はこの困難な状況を「鼎」と言う巧妙な詩法で解決している。

 漢俳は表意文字十七字で構成される。その収容情報量は概ね俳句の二倍に相当する。これだけ情報が提供されると、読者は思惟を繞らさなくとも、与えられた情報だけで、殆ど詩想を読み取れる。

 依って、漢俳には「作者と読者が思惟を共有して、詩想に到達する」という俳句の根幹詩法は無いのである。

 結論として、俳句と漢俳は、名称は似ているが、詩法を異にする定型詩歌である。

 ただこの詩法の相違を、巧みな詩法に依って好都合に転換できる創作者も、僅かにはいるが名手の域である。

 俳句は微細から極大まで、あらゆる詩想に対応出来るが、漢俳は他の漢詩詞の例に倣って、その持ち分に応じた詩想にしか対応できない。

  漢俳を日本詩歌に置き換える場合は、幾許の詩法の違いはあるが、根本的な違いのない日本の短歌に置き換えることが、詩法上妥当といえる。

 漢俳と短歌は可逆関係にある。これに対し、漢俳と俳句は詩法上相互に変換できない。

 

 俳句について、次のように結論した。

 俳句は極限まで情報提示を控えて、其れが却って読者の思惟を喚起させる。読者は思惟を繞らして、情報の首尾一貫を探り、思惟を作者と共有し詩想を感得する。この行為そのものが作者と読者の一体化で有り、俳句の本質であり、醍醐味でもある。

 世上多くの佳作と賞される俳句作品がある。入りやすく一読すると解ったような気がする!日月年を経て読者の思惟能力が向上していれば、再読すると、又以前とは異なった詩想が感得出来る。

 順次読者の思惟能力に応じて新たな詩想を提供してくれる。この事象は情報が少ないが故に思惟が喚起され、読者の思惟能力の推移に応じて、前回とは異なった詩想に到達した!と言うことである。作品が読者の先を行っている!とも言える。

 作品か或いは読者の思惟能力に、優劣がある場合は、何度読んでも、ほぼ同じ結果となる。

 読者が思惟を繞らせると言う行為は、作者によって仕組まれた意図なのである。何度臨んでも到達できない!と言うことは、作者の意図に填ったのである。掴めそうに見えて掴めない!これが俳句の本質であり醍醐味でもある。即ち俳句詩法の奥義であって、この様な作品を広大無辺の佳作と言うべきである。

 俳句は読者に思惟を喚起し、思索を繞らさせる行為そのものを、詩法の根幹とする。依って一読して大方の詩想が読み取れ、何度読み返しても、それ程には詩想の相違のない作品は、作品が読者の思惟能力に追いつかれたからで、情報とその配置が適切でない結果といえる。

 漢俳は情報量が多いので、一読して大方の詩想が読み取れる。何度読み返しても、それ程には詩想の相違がない。此は漢詩詞の本質であって、作品が稚拙という訳ではない。俳句とは根本的に詩法を異にする所以である。掴めそうに見えて掴める!これは漢詩詞の本質であり漢俳の本質でもある。

 

 

 

 

4−4 俳句を漢俳に変換

 

 中國漢俳学会設立により、従来からの漢字五七五に漢俳と言う定型名称が冠せられ、中國でも日本でも、漢俳が俄に脚光を浴び、この新顔の定型に興味を示す者も現れた。

 漢俳が日本俳句と互換性ある定型で有るかのような風評が独り歩きし、漢詩詞とは全く詩法を異にする俳句愛好者が、漢字詩歌に手を染める事となった。

 俳句を漢俳に変換するには二通り有る。その一つは、漢詩詞の構成要件に準じて、首尾一貫に綴ることである。

 首尾一貫では、俳句と詩法が異なるので、漢字五七五に書き換えても、相互に対等な関係とは成らない。此は単に漢俳と言う定型名称の五七五であって、俳句の互換作品とは成らないのである。

 次に、俳句の構成要件に準じて、情報を減らした鼎の構成とする詩法を用いることである。此は極めて難しい創作であって、名手の域で無ければ対応できない。俳句漢俳互換論は耳にするが、日本人の創作で、其れに値する作品を未だ見たことはない。

 俳句と漢俳の互換は、俳句の情報量と漢俳の情報量とが、等しいと言う条件がある。情報量が異なれば、例え其れが思惟の範囲内にあっても、双方の底本作品とは異なる作品となる。何故ならば、俳句は、情報不足を補う思惟行為そのものが、成立要件の一つだからである。

 依って、底本俳句と同等の情報量で漢俳を作るという行為は、その用いる文字の情報収容能力に差がある以上、中々に困難な作業と言える。

 ここで重要なことは、例え其れが思惟の範囲内にあっても、情報量が異なれば、底本とは異なる作品となる。

 依って、漢詩詞詩法で中國の漢俳を扱えば、俳句詩法との間で齟齬が生じ、俳句詩法で日本の漢俳を扱えば、漢詩詞詩法との間で齟齬が生じる事となる。

 

 

 

4−5 漢俳の定型

 

 詩歌にはそれぞれの規約がある。漢詩詞は規約が難しいと云うが、漢俳は極めて緩やかで無いに等しい。

 

 

 

4−5−1 五字句+七字句+五字句

 句の構成は五字句+七字句+五字句である。

 

 

 

4−5−2

 押韵とは、句末の母音を揃える事を云うが、二句もしくは三句押韵である。

 

 

 

4−5−3

 平韵とは、第一声調と第二声調の母音を云い、仄韵とは第三声調と第四声調の母音を云うが、漢俳は平韵に依る押韵も仄韵に依る押韵も可とします。また平仄混用も有ります。

 

 漢俳は漢語詩歌であるから、漢語による読みやすさも考慮しなければならない。即ち、平聲三聯・仄聲三聯は避けるべきである。

 

 

 

4−5−4

 一般には章末押韵が殆どである。

 

 

 

4−5−5

 俳句に倣って「季語」を云う人もいるが、中国国内に於いて季語の定義が定かでないので、現状では、拘る必要は認められない。ただ季節に拘わる典古は有用である。

 

 

 

4−5−6 古典語彙・文語体語彙

 語彙は、古典語彙・文語体語彙・口語体語彙、何れも可である。

 

 

 

4−6−1 三句三章三押韻

 

 三句三章三押韻 打鐵韵とも言う

        □□□□◎

      □□□□□□◎

        □□□□◎

             各句一句一章

 

 

 

4−6−2 三句二章二押韻

 三句二章二押韻

        □□□□◎  一句一章

□□□□□□□,□□□□◎  二句一章

 

 

 

4−6−3 三句二章二押韻

三句二章二押韻

□□□□□,□□□□□□◎  二句一章

        □□□□◎  一句一章

 

 

4−7 七言絶句を削って漢俳にする

 

 創作練習なのでご勘弁を!

 

 七言絶句が作れれば、其処から簡単に漢俳は作れるので、既存の作品を叩き台にして練習する。

 各位ご存じの

 

 

 

4−7−1

 

  楓橋夜外  張継

月落烏啼霜満天,

江楓漁火對愁眠。

姑蘇城外寒山寺,

夜半鐘声到客船。

 

@−起句を削除して七言句を二字削って五字句にする。

漁火對愁眠。

姑蘇城外寒山寺,

鐘声到客船。

 

 幾つかの加除を行う

江楓對愁眠。

姑蘇城外寒山寺,鐘声到客船。

 

【解説】漁火は江楓の中の景物なので、江楓對愁眠とした。

【解説】第一句江楓對愁眠と二三句の姑蘇城外寒山寺,鐘声到客船。とは離れている。これは起句の欠落による効果である。

 

A−承句を削除

月落霜満天。

姑蘇城外寒山寺,

鐘声到客船。

 

 幾つかの加除を行う

烏啼霜満天。

姑蘇城外寒山寺,鐘声到客船。

 

【解説】原句、月落烏啼霜満天は、月落・烏啼・霜満天、の三つの事象より成り立つ句中対で有る。この三事象の中、二三に対して平板の幣をを逃れるのは、烏啼・霜満天の事象である。

 

B−転句を削除

月落霜満天,

江楓漁火對愁眠。

鐘声到客船。

 

【解説】転句が欠けると、三句並立と成り、観点が定まらず趣旨が散漫となる。

【解説】転句が欠けると、作品として成り立たない。この弊を救う方法は、何れかの句を書き換える必要がある。

 

B−@ 二句目の変更

月落霜満天,江風停息晩秋眠。

鐘声到客船。

 

【解説】楓ではなく風として、江風停息とし、晩秋眠とすれば、

 月落

 霜満 天,

江風停息

晩秋眠

鐘声到 客船。

と互いに連携を保ちながら、一点に収束する。

 

B−A 三句目の変更

月落霜満天,江楓漁火對愁眠。

鐘声白髪邊。

 

【解説】一二句が実句に対して、第三句を虚句として、実を述べて虚で結ぶ。

 

 

 

4−7−2

 

  江南春   杜牧

千里鶯啼緑映紅,

水村三郭酒旗風。

南朝四百八十寺,

多少楼台烟雨中。

 

@−起句を削除。

三郭酒旗風。

南朝四百八十寺,

楼台烟雨中。

 

 幾つかの加除を行う。

千里酒旗風。

南朝四百八十寺,桜花烟雨中。

 

【解説】楼台烟雨中よりも季節感のある桜花烟雨中に入れ替え。

【解説】南朝四百八十寺,桜花烟雨中。の両句は程良く連携を得ているが、千里酒旗風。は連携を得ていない。即ち起句の欠落による結果である。

 

A−承句を削除。

鶯啼緑映紅。

南朝四百八十寺,

楼台烟雨中。

 

 幾つかの加除を行う。

千里緑映紅。

南朝四百八十寺,楼台烟雨中。

 

【解説】鶯啼緑映紅。楼台烟雨中。の二句とも視点場が一点なので、千里緑映紅。として、視点場を遠方に移し、視点場を遠近二つとした。

【解説】南朝四百八十寺,楼台烟雨中。の両句は程良く連携を得ているが、千里緑映紅。は連携を得ていない。即ち承句の欠落による結果である。

 

B−轉句を削除。

鶯啼緑映紅,

水村三郭酒旗風。

楼台烟雨中。

 

【解説】転句が欠けると、三句並立と成り、観点が定まらず趣旨が散漫となる。

【解説】転句が欠けると、作品として成り立たない。この弊を救う方法は、二三句の何れかを書き換える必要がある。

 

B−@ 二句目の変更

鶯啼緑映紅。

緬想三郭酒旗風,楼台烟雨中。

 

【解説】第二句の時間軸を変更した。これにより現在と過去の両時間軸が対比された。即ち内容を転句に書き換えたとも言える。

 

B−A 三句目の変更

鶯啼緑映紅,水村三郭酒旗風。

模糊烟雨中。

 

【解説】第三句の景物を変更した。楼台烟雨中は確実に認識できる景物を指定し、読者の想像を遮断しているが、模糊烟雨中は、認識できない景物を指定し、読者の想像を誘導する。

 

 

 

4−7−3

 答韋丹 僧霊徹

年老心閑無外事,

麻衣草坐亦容身。

相逢盡道休官去,

林下何曽見一人。

 

@−起句を削除

草坐亦容身。

相逢盡道休官去,

何曽見一人。

 

 幾つかの加除を行う

年老麻衣身。

相逢盡道休官去,何曽見一人。

 

【解説】起句を削除すると前置きに欠け、草坐亦容身では意味不明となる。依って、年老麻衣身とする。「何」は反語を表す。見た事があるだろうか?一度もない!

 

A−承句を削除

心閑無外事,

相逢盡道休官去,

林下見一人。

 

 幾つかの加除を行う

心閑無外事。

相逢盡道休官去,林下見道士。

 

【解説】承句は削除しても、入り口が有るので、二三句への繋がりは保てる。

【解説】「事・去・人」の三字の母音(韵)が各々異なるので、その中の二つ以上を同じにする(押韵)必要がある。

 依って此処では取り敢えず「事shi3」に合わせて、見道士・見壮士・見錦字・貪才智などの語彙が充当される。

解;何曽見一人と林下見道士では正反対となるが、この様に趣旨は各様に変えられる。

 

B−転句を削除

心閑無外事,

麻衣草坐亦容身。

何曽見一人。

 

【解説】第一句と二句には繋がりが有るが、第三句とは全く繋がりがない。離れる事は必要だが、離れすぎると、作品として成り立たない。

【解説】この弊を救う方法は、何れかの句を書き換える必要がある。

 

B−@ 二句目の変更

心閑無外事,誰説草坐足容身。

何曽見一人。

 

【解説】草の敷物が有れば、この身を容れるには足りる、と誰かが説ったが、それを実行したものは、嘗て見た事が有るだろうか?

 

B−A 三句目の変更

心閑無外事,麻衣草坐亦容身。

未知絶世塵。

 

【解説】結句と転句は連携しているが、承句とは連携していない。依って結句を書き換える必要がある。

 

 

 

4−7−4

  秋思  張籍

落陽城裏見秋風,

欲作家書意萬里。

復恐怱怱説不盡,

行人臨發又開封。

 

@−起句を削除

家書意萬里。

復恐怱怱説不盡,

臨發又開封。

 

 幾つかの加除を行う

欲寫意萬里。

復恐怱怱説不盡,臨發又開封。

 

【解説】起句が欠けると、承句は転句に繋がりにくく成る。依って起句の要素を書き移す。

 

A−承句を削除

城裏見秋風,

復恐怱怱説不盡,

家書又開封。

 

 幾つかの加除を行う

客裏見秋風。

復恐怱怱説不盡,家書又開封。

 

【解説】承句を削除すると、多少の情報不足は生じるが、全体としてのバランスは崩れない。客裏である事を付け加える。

 

B−転句を削除

城裏見秋風,

欲作家書意萬里。

臨發又開封。

 

客裏見秋風。

欲寄家書意萬里,臨發又開封。

 

【解説】この作品は承句が虚句で有るから、転句としての代用が可能である。

 

 

 

4−7−5

  秋日過員太祝林園  李渉

望水尋山二里除,

竹林斜到地仙居。

秋光何處堪消日,

玄晏先生満架書。

 

【解説】これは用事と云われる作品で、典故が用いられている。「玄晏先生」が典故である。詩題に玄晏先生の語彙を書けば、句中に書かなくとも、趣旨は伝わる。

【解説】この作品の典故は「比」と言う詩法が用いられていて、典故と対象とを対比させ、対象をより一層顕在化させる詩法である。

解;ご自分の作品に「玄晏先生」典故を用いれば、篤学の蔵書家との趣旨を述べる事が出来る。

 

@−起句を削除

斜到地仙居。

秋光何處堪消日,

先生満架書。

 

 幾つかの加除を行う

竹林接仙居。

秋光何處堪消日,玄晏先生書。

 

【解説】起句が欠けているので情報不足です。起句の要件を承句に移し、竹林接仙居とする。

【解説】玄晏先生は蔵書家だから、玄晏先生書とした。

 

A−承句を削除

望水二里除,

秋光何處堪消日,

玄晏先生書。

 

 幾つかの加除を行う

望水二里除。

秋光斜處君消日,玄晏先生書。

 

【解説】三句バラバラで何を言っているか分からない。

【解説】秋光斜處君消日として、秋の夕方、君は読書三昧とした。

 

B−転句を削除

尋山二里除,

竹林斜到地仙居。

玄晏満架書。

 

 幾つかの加除を行う

尋山二里除,鬱粗竹林接君居。

玄晏満架書。

 

【解説】一二句と三句の間には、一読では繋がらない距離感がある。この距離感は読者の探求心に効果的に働き、作者と読者を一体化させる効果がある。漢俳の特徴の一つである。

 

 

 

4−7−6

 

  焚書坑 韋碣

竹帛烟消帝業虚,

關河空鎖祖龍居。

坑灰未冷山東亂,

劉項元来不読書。

【解説】この作品は用事と謂われる詩法で、典故が用いられている。劉備と項羽の故事と焚書坑である。

 

@−起句を削除

空鎖祖龍居。

坑灰未冷山東亂,

元来不読書。

 

 幾つかの加除を行う

空鎖祖龍居。

坑灰未冷山東亂,劉項不読書。

【解説】起句が削除されると、前置きの大きく捉えた部分が欠ける事となる。承句は起句の一部を顕在化させる作用がある。

【解説】合句の元来不読書では訳が分からないので、劉備と項羽を差し込んだ。

 

A−承句を削除する。

烟消帝業虚,

坑灰未冷山東亂,

元来不読書。

 

 幾つかの加除を行う。

烟消帝業虚。

坑灰未冷山東亂,劉項不読書。

【解説】承句が削除されても、全体としての趣は変わらない。ただ、全体としての趣旨の範囲が狭まった事となる。

 

B−転句を削除する。

烟消帝業虚,

關河空鎖祖龍居。

元来不読書。

 

 幾つかの加除を行う。

烟消帝業虚,關河空鎖祖龍居。

劉項不読書。

【解説】關河空鎖祖龍居。と劉項不読書。の間に、距離感があるので、敢えて第二句を変更する必要は無いと想われる。

 

 

 

4−7−7

  秦淮 杜牧

烟籠寒水月籠沙,

夜泊秦淮近酒屋。

商女不知亡國恨,

隔江猶唱後庭歌。

 

@−起句を削除。

秦淮近酒屋。

商女不知亡國恨,

猶唱後庭歌。

 

 幾分の加除を行う。

夜泊近酒屋。

商女不知亡國恨,隔江後庭歌。

【解説】題に秦淮と有るので、二度使いを避けて、夜泊とし、それに合わせて隔江とした。

【解説】この作品は、用字法と言い、典故として、陳後主作玉樹後庭歌を下敷きにしている。

 

A−承句を削除

寒水月籠沙,

商女不知亡國恨,

猶唱後庭歌。

 

 幾分の加除を行う。

烟籠月籠沙。

商女不知亡國恨,猶唱後庭歌。

【解説】第一句と二三句が離れているので、要件は整っている。

 

B−合句を削除

寒水籠風韵。

夜泊秦淮近酒屋,不知亡國恨。

【解説】合句を削除すると、それに代わる句が必要となる。夜泊秦淮近酒屋,不知亡國恨。の二句がそれに当たる。即ち寒水籠風韵。と二意の構成となる。

【解説】「恨」と同じ韵字にするために「吟」を用いた。

 

 

 

4−7−8

  旅夕 高蟾

風散古陂驚宿雁,

月臨荒戍起啼鴉。

不堪吟断無人見,

時復寒燈落一花。

 

@−起句を削除

荒戍起啼鴉。

不堪吟断無人見,

寒燈落一花。

 

 幾分の加除を行う。

古陂起啼鴉。

不堪吟断無人見,時復落一花。

【解説】起句を省いても承句があるので、さほどの情報不足は感じられない。

 

A−承句を削除

古陂驚宿雁,

不堪吟断無人見,

寒燈落一花。

 

 幾分の加除を行う。

風散驚宿雁。

不堪吟断無人見,寒燈照一巻。

【解説】承句を省いても、起句があるので差ほどの情報不足は感じられない。

【解説】雁と同韵の巻に入れ替えて合句を変更した。

 

B−転句を削除

古陂驚宿雁,

月臨荒戍起啼鴉。

寒燈落一花。

 

 幾分の加除を行う。

古陂驚宿雁,不堪荒戍起啼鴉。

寒燈落一花。

【解説】転句を削除しますと、厚みが無くなり平板と成って、詩の様態を為しません。

【解説】第二句の実を虚とします。

 

 

 

4−7−9

  長安作 李渉

宵分獨坐到天明,

又策贏驂信脚行。

毎日除書雖満紙,

不曽聞有介推名。

 

@−起句を削除

又策贏驂信脚行。

毎日除書雖満紙,

不曽聞有介推名。

 

 幾分の加除を行う。

贏驂信脚行。

毎日除書雖満紙,聞有介推名。

【解説】この作品は、用字法と云って典故「介推」を用いている。典故を知る事が前提条件となる。

【解説】起句から承句へ順調に情報が連結しているので、起句だけでも転合への連結に不都合は生じない。

 

A−転句を削除

宵分獨坐到天明,

又策贏驂信脚行。

不曽聞有介推名。

 

 幾分の加除を行う。

獨坐到天明,又策贏驂信脚行。

曽聞介推名。

【解説】起句が実で承句が虚で、転句の代替としての要件を満たしている。

【解説】聞有を曽聞に次元を変更した。

 

B−合句を削除

宵分獨坐到天明,

又策贏驂信脚行。

毎日除書雖満紙,

 

 幾分の加除を行う。

獨坐到天明智。

又策贏驂信脚行,除書雖満紙。

【解説】合句を省いたので、押韵を何処に行うかの問題がある。

【解説】明を智に換えて紙として紙の韵に合わせた。

【解説】合句を省くと尻切れ蜻蛉の感は拭えない。これが漢俳の特徴でもある。

 

 

 

4−7−10

  夜雨寄北 李商隠

君問帰期未有期,

巴山夜雨漲秋池。

何當共剪西窗燭,

却話巴山夜雨時。

 

@−承句を削除

君問帰期未有期,

何當共剪西窗燭,

却話巴山夜雨時。

 

 幾分の加除を行う。

帰期未有期。

何當共剪西窗燭,却話夜雨時。

【解説】用字法典故で有る。

【解説】この作品は、中国人なら誰でも知っている作品である。

【解説】現在未来と次元の移動が設定されている。

【解説】この作品は次元移動詩法の典型なので、頭に叩き込む必要がある。

 

A−転句を削除

君問未有期,巴山夜雨漲秋池。

却話夜雨時。

【解説】転句は削除されているが、虚実虚の句意が配置されていて、然も巴山夜雨漲秋池。と却話夜雨時。が適度に離れているので、巴山夜雨漲秋池が転句の代替とされている。

 

B−合句を削除

君問未有書。

巴山夜雨漲秋池,何當西窗燭。

【解説】句末の燭に合わせて起句の期を書に変更した。

【解説】合句を省くと尻切れ蜻蛉の感は拭えない。これが漢俳の特徴でもある。

 

☆漢俳は易しい定形のようだが、少なくとも七言絶句が作れるだけの基礎能力を必要とする定型で有ることを理解しなければならない。

 

 

 

4−8 中國漢詩詞の現状

 

 中華人民共和国成立以後、人心の安寧を諮るための一つの手段として、文字の簡略化と詩歌の普及が図られた。

 既に漢民族には長い歴史に培われた定型詩歌が有るが、革命による新国家建設という政治状況と、従来の定型が、必ずしも簡易とは言えない現状から、自由詩の普及が図られた。

 然し、その後も自由詩は國の内外に廣く普及して大衆化される迄には到らなかった。長い革命の時代を経て、国内も平穏と成り、改革開放の時代が到来した。

 改革開放の時代と成って、長年に亘り、沈静化していた古典詩歌が、息を吹き返したのである。各地に詩詞壇か結成され、日本人との詩歌交流も、成長も著しく早かった。

 詩歌関連交流では、漢詩詞、俳句、短歌、吟詠、詩舞、書道などの、団体や個人的な交流が盛んに行われた。

 詩歌について漢民族は定型に固執することはせず、自分の詩想を収めるに相応しい定型を選ぶのである。もし相応しい定型が見当たらなければ、自分で新たな詩型を作り、湧き上がる思を収めるのである。

 偶々、俳壇交流の席上、中国側が日本側俳壇に敬意を払い、五七五の漢字による即興詩を披露した。この事は、日中双方に興味深く受け取られ、その場の雰囲気から、漢俳と言う名称が与えられた。

 その後、漢俳は、中国国内で詩歌普及の方途として、歓迎され、徐々に広まっていった。

 古典定型は、長年の経過によって習熟の度を高め、著者が知る限りでも、百六十余の詩法が云われている。然し古典漢詩詞は詩法の難しさが却って障害となって、誰でも簡単に創作できる状況ではなかった。

 かと云って、簡易に創作出来るで有ろうと思われた自由詩も、予想に反して思った程の拡大を見せなかった。

 時は移り、改革開放政策が叫ばれた丁度その時、詩法に余り囚われない、自由詩と古典詩を折衷した定型としての、漢俳の誕生である。

 誕生して間もないから、詩法も整っていない。此が却って幸いして、詩歌の知識が少ない者でも、自由に詩想を綴る事が出来、容易に創作が出来るとの評価を受け、此が詩歌大衆化の要求に合致した。

 

 

 

 

4−9 漢詩詞の側から看た漢俳

 

 漢俳誕生当時、中国詩詞壇では、知識未熟な者でも対応出来る定型詩歌、と云はれ、この簡便性が幸いして、詩歌の大衆化が図れると云われた。

 漢俳誕生と詩歌大衆化の情報は、既に二十年前に、日本の漢詩壇にも、伝わった。

 漢俳が、日本の漢詩壇に紹介された理由は、「詩法知識の乏しい者でも簡単に対応創作出来る」から、である。

 漢詩壇では、古典定型を創作出来る能力があるのだから、敢えて、簡単な定型を取り入れる必要はないと言われたが、一時期漢俳が話題となって、定例討論会の議題に上った事がある。編者の知る複数の漢詩壇でも、漢俳創作の必要性は無い!との結論に到った。

 日本漢詩壇では、漢俳に関する情報は夙に広範に伝わり、恐らく半数の漢詩人は、既に二〇年前に漢俳の創作を試みている。

 

 

 

 

4−10 漢俳創作の傾向

 

 漢詩詞の構成は首尾一貫を原則とする。此は百句の作品でも、三句の作品でも、同様である。

 漢詩定型の殆どは、偶数句、四句以上で構成されている。中國漢俳は三句構成であるから、起承轉合の何れかが欠落する。更に、五字句と七字句が混在する。この事は、従来の定型とは基本的に異なり、従来詩法の対応に頗る支障を来す。

 依ってこの事を解決するには、新たに高度な詩法を創出しなければならない。然し、殆どの創作者は、安易な方向を選び、自由な発想、新たな詩法となどと自称して、安直に逃れる傾向がある。

 前述の如く、漢俳と俳句を互換詩歌とすることは、情報量の違いが、障害と成って、事実上創作は極めて難しい。似通った作品としてなら可能だが、同様な作品として並立させることは、名手の筆に依らなければ極めて困難である。

 日本の漢詩壇は漢詩詞の創作を専らとしていて、俳句関連の詩法は学んでいない。依って、漢詩壇としては、俳句と並列関係にある漢俳創作に対応する事は、詩法知識上対応不可能である。

 又、前述で示すとおり、漢俳提案の相手方は、日本の俳壇であって、日本の漢詩詞壇ではないのである。

 此を喩えて言えば、日本漢俳を創る事は、中国服を着た日本人形を作るようなもの、或いは、四角い穴に三角の棒を通すようなもの、或いは三角の穴に四角い棒を通すようなもの、と言える。

 

 

 

 

4−11 海外論文の視点

 

 漢俳は誕生して日も浅いので、詩法も未熟である。依って詩法の論説を為す者も多い。然し此処で、論拠を見定める必要がある。漢詩詞の中の一定型としているのか?俳句との連携を承知しているのか?何れかを見定めなければ成らない。

 中国社会でも漢俳を作る人は近頃急増している。だが彼等の作品は漢詩詩詞法による漢俳である。稀に俳句詩法に依る創作をする者も居るが、それは海辺の砂粒ほどの存在である。

 俳句との連携を拠点にしているのでなければ、2005年3月漢俳学会が示した日本俳句との連携を前提とした漢俳の詩法としての論説には成らない。

 論者がどれ程に、俳句を理解しているか?現実に当人が創れるのか?を先ず見定めなければならない。

 漢俳は 5−7−5 の漢字綴りです。 日本人には相当に学習しないと5字句 7字句は綴れません。
 漢俳は文字数では似ていますが、俳句とは本質的に異なる詩歌です。

 

 

第五章 短歌

 

 漢俳が日本俳壇の歓迎用として誕生したので、それに追随して日本歌壇への歓迎用に「漢歌」が誕生した。誕生などと言うものは、何も小難しい理屈は要らないのである。この誕生秘話だけで充分である。

【附注】誕生当時は「漢歌」と言われていたが、漢の時代の詩歌を漢歌とも言うので、混乱を避けるため、現在では「短歌」と言われている。

 

 漢字短歌が日本短歌の文字数に倣ったからと言って、日本短歌の詩法に倣う必要は全くない。亦、音数律詩歌と韻律詩歌の相異や、表音文字と表意文字の相異などがあって、詩法を倣うという事は現実には不可能に近い。

 

 

 

5−1 定形

 

 短歌の規定は文字数だけであるが、詩(広義の)である以上、自ずと其の様態はある。一例を示せば、

 

偸聲▲●●○◎,     起句

▲●○○▲●◎。    承句

偸聲△○○●●,     転句

▲●○○○●●,    合句

或いは●○●

△○▲●●○◎。     對仗

或いは○●◎

 

 茲に平仄配列の一案を示した。後半七七の二句は流水對とするのが、日本短歌の雰囲気から勘案して適切かと思われる。亦重厚さを演出する手法でもある。

 

 句の綴り方は、詩の場合は文字数が4+3若しくは2+3で有るが、詞の場合は、3+4若しくは3+2等もある。依って四っの方法を試みる事は必要である。

 

 未だ定まった詩形が有る訳ではないから、短歌を育てて行く為には、平仄配列や詩法・句法を試みる事は必要である。但し、舊體詩詞の格律の基本を逸脱する事は好ましくない。

 

 

 

5−2 作詩法

 

偸聲▲●△○●      起句

▲●○○▲●◎      承句

偸聲▲●△○●      転句

▲●○○○●●      或いは ●○●  合句

△○▲●●○◎      或いは ○●◎  流水對

 

 茲に平仄配列の一案を示した。後半七七の二句は流水對とするのが、日本短歌の雰囲気から勘案して適切かと思われる。亦重厚さを演出する手法でもある。

 句の綴り方は、詩の場合は文字数が4+3若しくは2+3で有るが、詞の場合は、3+4若しくは3+2等もある。依って四っの方法を試みる事は必要である。

 未だ定まった詩形が有る訳ではないから、漢歌を育てて行く為には、平仄配列や詩法・句法を試みる事は必要である。但し、舊體詩詞の格律の基本を逸脱する事は好ましくない。

 

 

 作例 漓江百里舟行

偸聲 ▲●△○●,

  水濶抱村流,

▲●○○▲●◎。

陰見疎林蕭亭樓。

偸聲 ▲●●○◎。

  翠壁淡雲収。

▲●○○○●●,

澄淵移棹投漁網,

△○▲●●○◎。

碧瀬伴鵜浮釣船。

 

 作例 懐長江游草

偸聲▲●△○●

  百里天然画

▲●○○▲●◎

白亭穿雲水繞城

偸聲▲●△○●

起句

 

承句

 

転句

 

合句

 

合句

 

 

 

起句

承句

転句

 

  文武兩荒塁

▲●○○○●●      或いは ●○●  合句

半壁開燈尋往事

△○▲●●○◎      或いは ○●◎  流水對

千年未讀聴禽聲

註:流水対は前後の関係が無ければならない。

註:帰宅後の事を言って居ます;狭い部屋で灯火を灯し、往事を尋ねましたが、千年もあるので未だ読み終わらない中に、夜が明けてしまいました。

 

 

 

5−3 作例

 

  漓江百里舟行 中山逍雀

  水濶抱村流,陰見疎林蕭亭樓。翠壁淡雲収。

澄淵移棹投漁網,碧瀬伴鵜浮釣船。

 

 

  閑窗読書 中山逍雀

  破壁獨讀書,尚友潜心與世疎。軒下逼還抒。思君託酒吾憐我,意乱胸中盈復虚。

 

 

  提子游園 中山逍雀

  游園日已斜,幽深小径向湖?。亭山綻嫩花。

玩獣飛旋童快轉,湖舟慢蕩?軽劃。

 

 

  亂世 中山逍雀

  大地狗狐興,智者才人遭不平。?賢嫉善盟。

昏庸碩鼠多欺世,奸滑泥鰍荀窃生。

 

 

 

5−4 現状評価

 

 漢歌や短歌に就いては、幾つかの在中国短詩研究討論会席上、議題には載ったが、一般流通の詩詞壇紙誌では、“漢歌・短歌”の作品は見掛けない。 折角に中國の詩詞壇諸賢が、日本歌壇との交流の橋梁として、漢字短歌の種を蒔いてくれたのに、未だに日本俳壇も歌壇も、その創作指導を為したという風聞も紙面も目にしたことは無い。

 日本側に苗を育てる意思がなければ、苗が育つ訳は無い。

 

 

 

第六章 投稿作品集

  漢語版新短詩普及テキスト

 漢字文化圏通用新詩体として、曄歌・坤歌・偲歌・瀛歌 作品募集を為したら、中国各地から作品が寄せられたので、その一部を紹介しよう。

【註】中國詩人は投稿数が頗る多く、誌面に限度があるので、各定形一首に限って掲載した。

【補解】投稿作品を見ると、曄歌は俳句、坤歌は川柳、偲歌は都々逸、瀛歌は短歌と、各々定形の趣旨をほぼ完全に理解していることが汲み取れる。

【補解】著者が海外に配布したテキストは、20頁程の漢語版テキスト一冊丈である。

 

☆ 投稿作品は程々の作品で溢れている。佳作を幾ら学んでも、却って勉強には成らない。作詞を学ぶには、程々の作品をとことん学んで、とことん批評して手を入れることである。

 

【註】中国人は自国語で書いていますから流暢なのは尤もですが、日本人にしてみれば、簡単とは言っても外国語ですから、ぎこちないのは仕方有りません。此処では交流が目的ですから巧拙は問題ではありません。

北京 林岫

曄歌  月輪盈,東籬把酒,結鴎盟。

坤歌  瀟洒好,常有童心,人不老。

偲歌  山館閑居,有鳥相娯,柿葉堪書,柳貫魚。

瀛歌  水流東,青山一例,吹落紅,粉粉思緒,何去何從。

 

北京  王樹

曄歌  駆暑熱,曄歌陣陣,涼風爽。

坤歌  短詩新,漢文化圏,萬友吟。

偲歌  歩入公園,起舞翩翻,老年翁媼,情纏棉!

瀛歌  當編輯,亦如選美,衆中覓,佳人入眼,醜女不録。

 

北京  李静

曄歌  春光好,鶯舞燕飛,花枝好。

偲歌  水光瀲灑,鴛鴦魂牽,双双情侶,酔湖畔。

瀛歌  壮志純,拾級登攀,山蛮秀,玉皇峰巓,一望無辺。

 

北京  卞志良

曄歌  採竹枝,尋覓嫩食,女愛吃。

坤歌  母育子,百禽如此,世福祉。

偲歌  吉祥之鳥,飛奔列島,至親相愛,最和好。

瀛歌  白髪翁,登臨長城,望東瀛,詩意正濃,短歌振興。

 

上海  周仕臣

曄歌  一望中,千紅萬紫,若金溶。

坤歌  好市容,斉天大厦,萬商隆。

 

上海  王瑜孫

曄歌  抗洪峰,敢迎艱険,競全功。

坤歌  争解嚢,熱情支援,渡海荒。

 

上海  謝震

坤歌  中日好,亜州安定,挙世寧。

坤歌  領導強,人定勝天,洪峰降。

 

上海  徐仁初

坤歌  創新声,十言両韻,曄歌称。

坤歌  唱曄歌,日華詩界,両相和。

 

上海  黄法昭

坤歌  白浪天,荊湘両岸,保長堤。

坤歌  救有方,軍民共斎,免植荒。

 

上海  周北壬

曄歌  火焼天,医院患満,護病員。

曄歌  月高懸,樹静風止,照無眠。

 

上海  張聯芳

曄歌  已残陽,光陰更貴,保康強。

 

上海  蘭亭夫人

坤歌  我丈夫,救人舎子,成孤老。

瀛歌  孤老太,蘭亭夫人,婦随夫,同開義校,人称聖母。

 

上海  陳竹君

曄歌  黄梅雨,消魂怕聴,黄昏雨。

坤歌  不知愁,辜負年少,白了頭。

偲歌  黄昏之恋,情比金堅,霧鬢鶴髪,楽餘年。

 

上海  一夫蔡察

曄歌  梅吐香,蘭亭遺篇,奪冠詩。

坤歌  誉蘭亭,全球詩后,国際定。

瀛歌  泪難収,一夫蔡察,錦蘭亭,被評聖母,全球詩后。

 

上海  蘭定

曄歌  待來春,鮮花盛開,乃我來。

坤歌  謝世人,蘭亭蘭定,我何名。

瀛歌  包青天,宋朝古賢,彭青天,当代今賢,我造義陵。

 

上海  楊鳳生

曄歌  君子竹,東坡甘伴,食無肉。

坤歌  休薄情,愿君皆富,我独貧。

偲歌  夙恋何深,離愁幾許,江南五月,黄梅雨。

 

江蘇  李愚

曄歌  東風吟,七分春光,上柳梢。

坤歌  養育親,孔牛跪乳,報母恩。

偲歌  錦字収否,不見雁歸,依門待郵,空悵?。

瀛歌  古人言,無病是福,最苦是,依門扶節,残年風燭。

 

江蘇  王茂林

曄歌  秋月高,蛩吟苔砌,桂花香。

 

江蘇  黄晨

曄歌  桐葉凋,香消顔老,歳月抛。

坤歌  出深山,弱質幽香,百世芳。

偲歌  西風凛冽,挑灯引箋,柔腸百転,心飛遠。

瀛歌  栖霊塔,高聳入雲,青鳥翔,紅孩悟道,梵音悠長。

 

江蘇  渠立勇

曄歌  春蚕黄,食桑吐糸,為人忙。

坤歌  家無銭,老小和美,話語歓。

偲歌  漂蓬多年,幸此会見,故地重游,多笑面。

瀛歌  人莫貪,貪心呑象,蛇呑象,天理難容,后果難卜。

 

江蘇  魏雲錦

曄歌  恋紅蓮,蜻蜒相邀,彩雲箋。

坤歌  黄鶴楼,崔題詩,使人愁。

偲歌  禅弾一指,佛化千身,参天古木,隔俗坐。

瀛歌  山数点,雲帆幾片,江如練,新月瑩霜,塞鴻似箭。

 

江蘇  曹俊鐸

曄歌  秋波揚,臨渓垂釣,喜魚翔。

坤歌  蛟龍縛,援手在握,人民楽。

偲歌  抗洪献身,遺志妻承,堪慰九泉,見真情。

瀛歌  廿年間,神州巨変,達小康,喜迎新歳,再創輝煌。

 

江蘇  石南生

曄歌  喜晨操,清心健體,可任勞。

坤歌  曙色微,林間晨練,久忘歸。

偲歌  山明水秀,匆鬆永畫,蜜月旅行,欣賞透。

瀛歌  想今後,雄心壮志,圖眼前,鼠目寸光,仔細衡量。

 

江蘇  陸長嘯

曄歌  太湖畔,日本桜花,燦如霞。

坤歌  臻友誼,翰墨情縁,化碑林。

偲歌  有一種病,醫葯難治,如醉如痴,單相思。

瀛歌  遥祝賀,盂蘭盆會,年年會,剣吟詩舞,其楽無極。

 

江蘇  秦子卿

曄歌  春光霽,一年好景,君更記。

坤歌  講文明,助人為楽,見眞情。

偲歌  情懐眷恋,鴻雁傳箋,萬里同天,潭月圓。

瀛歌  別西洋,雲程渺々,越扶桑,申江着陸,重到故郷。

 

江蘇  徐吉堂

曄歌  夏蓮紅,誰家姐妹,比芙蓉。

坤歌  七月七,前事不忘,后事師。

偲歌  団扇団扇,玉人遮面,只聞声音,不得見。

瀛歌  避風亭,丹崖息空,人聚會,波濤萬丈,独影不動。

 

吉林  孫長春

曄歌  日月潭,咫尺天涯,雲柳残。

坤歌  却誰知,跌?偶拾,是小詩。

偲歌  流光溢彩,気貫長虹,截流工地,慶合龍。

 

吉林  呂子栄

曄歌  洪濤湧,軍民携手,縛蒼龍。

偲歌  昨夜夢君,伴我晨昏,縱枕横梁,亦温馨。

瀛歌  黄塵裡,君子明槍,無所謂,小人暗箭,必当防備。

 

吉林  王述学

曄歌  秋楓美,如霞似画,迷人酔。

坤歌  惆悵難,一日三秋,時光慢。

偲歌  鴻雁常期,錦書久久,何時遂意,與君見。

瀛歌  想当年,戎馬倥,黒水処,淋雨餐風,苦守辺関。

 

吉林  王際宇

坤歌  離千里,魚雁傳情,心無隙。

偲歌  寒來署往,天地長久,心心相印,情依旧。

瀛歌  慶豊収,農民歓喜,尤喜那,玉米揚頭,高梁翹首。

 

吉林  林鷹

曄歌  舒望眼,繍観大地,花爛漫。

坤歌  詩結盟,豪吟浅唱,楽無比。

偲歌  把酒東楼,對燈独飲,唯少伊人,情難盡。

瀛歌  看今朝,風和日暖,花園里,芬々四溢,蝶舞蜂擁。

 

吉林  呂子榮

曄歌  南飛雁,帯走歳華,又一年。

坤歌  枕頭風,時而一吹,眞頂用。

偲歌  古都重逢,人面桃花,一壺濁酒,訴哀情。

瀛歌  岳陽楼,范老当年,為民憂,萬千游客,幾個同儔。

 

吉林  李岱蔚

曄歌  蛙声叫,甘霖初到,拍手笑。

坤歌  学気功,百病不生,笑常盈。

偲歌  愛在他郷,思緒茫々,当年阿妹,可安康。

 

吉林  司馬秀康

曄歌  春水涼,流向他郷,想家忙。

坤歌  二次婚,千万想好,情老易。

偲歌  今到故郷,看女同窗,無限相思,刻瞼上。

瀛歌  學子評,命理早知,不怨世,苦練気功,平安無事。

 

吉林  李寅出

曄歌  楓葉紅,雁叫霜天,亮長空。

坤歌  求人難,如審罪犯,趁早散。

 

吉林  李廣源

曄歌  洪水猛,江河泛濫,戦天災。

坤歌  賦比興,実則三体,為法緯。

偲歌  山東才女,卒業高中,返郷種地,受好評。

瀛歌  承徳宮,四面環山,殿閣宏,八面玲瓏,景色隆豊。

 

日本  馬培婉

曄歌  創新咏,曄坤偲瀛,似葩経。

坤歌  患重疾,余生有幾,且学習。

瀛歌  中秋過,山染紅色,榮創新,造福詩壇,祈其永傳。

 

日本  木村成彦

曄歌  白雪飄,百卉蕭条,蒼松傲。

坤歌  飛行機,青空書字,表装難。

瀛歌  親友遠,難述情愿,電話牽,穿山越海,蜜語歓談。

 

日本  坂本明子

曄歌  大雁塔,東西南北,秋風里。

 

日本  小畑節朗

曄歌  江上春,浮世如夢,半香塵。

坤歌  五尺身,疾風勁草,自迷途。

瀛歌  緑掩門,残花任地,竹生孫,明年白髪,今日塵煩。

 

日本  王軍合

曄歌  杜鵑紅,街中無人,寂々行。

坤歌  是学生,還是先生,満面風。

 

日本  宋玉民

曄歌  富士山,霧繞雲纏,不見天。

坤歌  桃花紅,片々錦綉,似朝霞。

偲歌  澳門回帰,指日可待,一国両制,放異彩。

瀛歌  流星雨,宇宙之謎,誰能識,茫々河漢,幾多天問。

 

日本  蔡艶雲

曄歌  彼岸花,紅色点綴,田園風。

坤歌  夏暑熱,和歌山城,中毒衆。

偲歌  紅葉燦燦,歓楽声声,年年歓看,年年老。

瀛歌  苦難言,感覚風寒,平成人,景気回復,歩履慢慢。

 

日本  張雪梅

曄歌  月如鈎,誰人美夢,誰人愁。

坤歌  此何縁,死水一潭,錯紅箋。

偲歌  身在閙市,心在高楼,故朋乍至,喜泪流。

瀛歌  掩心扉,勿為人語,怨女崖,随波逐流,浮萍花。

 

日本  木村成彦

曄歌  賀年片,紙薄義重,聯友情。

坤歌  東京塔,電波廣傳,四十年。

偲歌  空濛山村,春風細雨,水墨酣暢,大写意。

瀛歌  春又到,誠祈康寿,誰愿老,天道無情,難返年少。

 

広東  黄志豪

曄歌  秋風涼,一声孤雁,断人腸。

坤歌  歩蹙蹙,老馬識途,偏慢足。

偲歌  妾欲離魂,萬里随君,可怜乏術,恨難禁。

瀛歌  創新体,言簡意深,易入手,雅俗共賞,老少知音。

 

広東  黄志豪

曄歌  桜花艶,伊人未見,心長念。

坤歌  圓又缺,兩地相思,空對月。

偲歌  岔路分手,無語泪流,最是難堪,頻回首。

瀛歌  新風起,曄坤瀛偲,人共喜,中山榮造,獨樹一幟。

 

広東  李義

曄歌  江南春,同游結伴,歴風塵。

坤歌  日暮愁,望穿秋月,?帰舟。

偲歌  送別渡頭,風咽離愁,折柳堤畔,意情惆。

瀛歌  賦良縁,錦心文字,意翩翻,痴情恕語,花好月圓。

 

広東  孫振儒

曄歌  菊舒弁,箋託長空,南飛雁。

坤歌  息干戈,携手互助,慶人和。

偲歌  悵望双星,倍憶前情,衾寒枕冷,夢難成。

瀛歌  慶重陽,中日詩人,共飛觴,遥祝友誼,地久天長。

 

広東  邱石麟

曄歌  人遠別,獨賞中秋,親朋缺。

偲歌  一別十春,誰惜妾身,寒衾孤枕,夢郎君。

瀛歌  中日好,友誼情好,詩探籐,両岸風騒,文峰不老。

 

広東  頼尊榮

曄歌  風乍起,細雨如糸,惹秋思。

坤歌  嗟往事,如夢如烟,換新天。

偲歌  渡頭一別,郎去卅年,霜侵両鬢,奈何天。

瀛歌  抗洪患,衆志成城,賑洪災,四方捐款,無限深情。

 

広東  駱洛

曄歌  天無限,中秋月圓,人同拝。

坤歌  晏平仲,善與人交,振世風。

偲歌  敬愛夫王,臨幸有方,不拘醜美,憑引羊。

瀛歌  天為屋,五湖四海,人同宿,不分貧富,不分種族。

 

広東  李材済

曄歌  荷花香,満地芳芬,夏日長。

坤歌  介之催,功成身退,真聡明。

偲歌  移船相見,琵琶遮面,轉弦撥軸,訴生平。

瀛歌  梅花開,騒人墨客,踏雪来,賞花咏志,放眼開懐。

 

広東  李材Y

曄歌  東海水,潮退潮生,去復回。

坤歌  色龍園,公正簾明,号青天。

偲歌  水漾西風,花脱晩江,離情別意,月朦朧。  

瀛歌  無宵節,灯月交輝,不夜天,金語不禁,笙愛弦歌。

 

広東  楊郁

曄歌  向日葵,懶與牡丹,争富貴。

坤歌  痩青蛙,黙守田疇,保豊収。

偲歌  掩巻遐思,無限寄意,紅葉題詩,柳画眉。

瀛歌  莫畏難,風雨同舟,萬里行,中華兒女,巍屹長江。

 

広東  李奇英

曄歌  培桃李,化雨頻施,偏桑梓。

坤歌  生活好,三餐魚肉,過耋耄。

偲歌  紅葉儔詩,含情脉脉,欣成弯風,謝良媒。

瀛歌  重陽至,萬樹成楓,山色紅,狂風猛起,極盡風流。

 

広東  陳麟昌

曄歌  桂花香,中秋共賞,賦佳章。

坤歌  楊貴妃,肥可羞花,痩不希。

偲歌  有女懐春,吉士追求,西廂月下,約情儔。

瀛歌  獨倚楼,黄昏細雨,惹人愁,情牽両地,望盡為船。

 

広東  ・仰之

曄歌  更残月,思家午夜,夢難歇。

坤歌  鄭公風,一往一来,航暢通。

偲歌  痴情絮語,有意放釣,偸窺柳眼,還兼笑。

瀛歌  遂高潮,達旦未消,旭日昇,暖遍人間,国泰如曉。

 

広東  鄒捷中

曄歌  紅梅開,欺霜傲雪,報春来。

坤歌  詩興濃,夜半燈前,字朦朧。

偲歌  身披月華,手挽晩霞,哥妹投情,悄悄話。

瀛歌  晴窗外,瓊楼如海,豁吟眸,詩思難繋,心潮澎湃。

 

安徽  謝子言

曄歌  燕双飛,掠水穿簾,繞画粱。

坤歌  好友來,千杯萬盞,不覚醉。

偲歌  新郎新娘,鬢髪如霜,儿女挽扶,入洞房。

瀛歌  眞喜人,牡丹花艶,桜花美,東苑西園,春色妍美。

 

安徽  ?節木

曄歌  黄山松,経風歴雨,傲蒼穹。

坤歌  下海人,風吹浪打,幾浮沈。

偲歌  人間真情,愛憎分明,唯願憎少,愛満盈。

瀛歌  作詩詞,絞尽脳汁,雖道是,字斟句酌,総知労累。

 

安徽  王問源

偲歌  欲採緑蘋,未獲小舟,岸上相看,急又愁。

 

 

福建  蔡麗水

曄歌  別墅幽,娯懐廿歳,日優游。

坤歌  友三千,詩通十國,尽名賢。

偲歌  思深恋苦,煩悩夜長,隔簾問月,訴誰知。

瀛歌  乗班机,瞬入雲飛,游香港,儿女依依,経年始歸。

 

福建  陳学梁

曄歌  秋山赤,有火無烟,楓葉揺。

坤歌  東南亜,金融運蕩,泡沫多。

偲歌  新婚三年,身憶六甲,全家祈祷,龍鳳胎。

 

福建  謝瑜

曄歌  桃花映,狠握権柄,斗蛮横。

坤歌  称老大,見官就怕,胡乱拝。

偲歌  軽車女秘,好不得意,鶯帳醒來,鉄窗涙。

瀛歌  権欲狂,笑裏刀藏,似豺狼,無礼圧制,有礼表揚。

 

福建  謝瑜

曄歌  菊霜綻,天青地爽,伸正気。

坤歌  東瀛友,神州煮酒,歌如流。

偲歌  西窗剪燭,同話巴山,人逢知已,夜珊瀾。

瀛歌  這瘋狗,実在太臭,黒嘴臉,損人欺天,無葯可救。

 

福建  唐佩秋(女士)

曄歌  端午節,水淹民房,八方助。

坤歌  美容霜,廣告神寄,変化臉。

偲歌  苗家姑娘,含情脉脉,山歌互答,選情郎。

瀛歌  迎高考,晨曦初露,校園内,三五成群,書声朗朗。

 

福建  林鏡清

曄歌  夏旋珠,千嬌百眉,緑荷池。

坤歌  望扶桑,千葉詩友,結情縁。

偲歌  楊柳迎風,春池暖水,私語傾心,情切々。

瀛歌  寫俳句,松尾芭蕉,愛楽歌,北国之春,高山流水。

 

福建  陳学?

曄歌  荷葉圓,傘陣捉迷,尋童趣。

坤歌  城中井,有方有圓,地之臍。

偲歌  同荘同弄,青梅竹馬,二八年華,羞相見。

瀛歌  廬山峻,成嶺成峰,峰嶺異,窄河急水,登高天大。

 

福建  蔡麗水

曄歌  香港游,桂蘭争秀,勤長留。

坤歌  詩盟結,一衣帯水,契吟情。

偲歌  老伴並肩,對月談天,津津有味,話珠連。

瀛歌  江水漲,久雨防災,堤加固,軍民斉來,献力献財。

 

福建  熊壽康

曄歌  中秋夜,騒壇詩友,吟唱會。

坤歌  苦難稿,字句精巧,詩方妙。

偲歌  春光美好,軽舟共棹,相儂細語,含羞笑。

瀛歌  興改革,故郡新州,商貿稠,網聯大道,櫛比高楼。

 

河南  黄飛

曄歌  月無声,雪野無声,犬無声。

坤歌  商販苦,地痞官僚,身邉虎。

偲歌  桃李嬌艶,佳景不長,妾似松竹,四季青。

瀛歌  寒江上,三兩輕舟,盈盈遠,載去歓娯,載去閑愁。

 

河南   黄飛鵬

曄歌  小窗空,読書人去,遺東風。

坤歌  笑消受,一斗十千,慶功酒。

偲歌  花陰遂蝶,柳岸吹簫,中宵夢醒,嘆寂寥。

瀛歌  老山翁,植樹山中,扶鋤立,笑沐春風,酔意濃濃。

 

湖南  ケ振球

曄歌  春風佛,破土吐緑,新詩体。

坤歌  剋霊頓.訪華九日,心花放。

偲歌  美酒佳肴,笑逐眉梢,情傳眼角,酔芳筵。

瀛歌  存両制,港澳回帰,近台湾,和平統一,両岸同心。

 

湖南  戴高峰

曄歌  夜大学,父子同読,称同学。

坤歌  百草生,衆鳥新聲,蛙鼓琴。

瀛歌  做人難,歩歩難艱,莫貪歓,潜実干,峰回路轉。

 

湖南  羅尚鴻

曄歌  金鳥堕,映入水中,満江紅。

坤歌  小女郎,指点字盤,寫文章。

瀛歌  三八節,婦女展眉,争貢献,脚踏實地,頂半邊天。

 

湖南  羅玉松

曄歌  北風吹,林逋嘘暖,孤山梅。

坤歌  黄河黄,奔流到海,不回頭。

偲歌  一色軽装,一個行程,一路歌声,喜踏青。

瀛歌  端午節,鑼鼓喧天,弔屈原,龍舟粽子,同問江天。

 

湖南  段楽三

曄歌  桃無花,茂葉繁幹,根太奢。

坤歌  澳門回,二度放梅,待挙杯。

偲歌  小草青青,對鳥玲玲,情人同歌,在野亭。

瀛歌  莫言遅,人前有師,學知之,習而知之,勤而知之。

 

湖南  伍錫學

曄歌  蜻蛉楽,観人垂釣,立蓮萼。

坤歌  福字倒,小孫貼罷,爺爺笑。

偲歌  花綻笑靨,柳舒腰肢,春又来臨,眼睛湿。

瀛歌  紅裙女,手捧新書,坐草地,時而歓笑,時而流泪。

 

湖南  彭能盛

曄歌  看今朝,興利除弊,正宜時。

坤歌  思古人,胸有人民,才有道。

偲歌  大千世界,滄海桑田,精神物質,愛世間。

瀛歌  始皇帝,為其不死,派徐福,求佛尋舟,源遠流長。

 

河北  劉成徳

曄歌  秋色黄,五穀豊穣,萬家康。

坤歌  兩面派,世間奉迎,心不済。

偲歌  孤燈閲覧,詩意沁脾,愛流湧起,神飛馳。

瀛歌  慰英霊,戦火粉飛,捐身躯,世代子孫,銘記在心。

 

 

河北  李和風

曄歌  冬雪酷,満院梅花,閙風樹。

坤歌  墻頭草,?邉風硬,?邉倒。

偲歌  迎春花早,香漂一角,月老不倒,蜂亂擾。

瀛歌  聯誼年,?作?兮,硯作舟。行雷之挙,風浪大餐。

 

河北  中英

曄歌  梅花白,鐵骨錚錚,迎春來。

瀛歌  水中蓮,出自淤泥,逆風展,亭亭玉立,清香溢遠。

 

山東  孫晋業

曄歌  冬梅香,風欺雪壓,報春光。

坤歌  善于學,古今皆師,永不絶。

偲歌  徐徐春風,一片深情,平易近人,好先生。

瀛歌  桜花酔,醉喜春媚,人不寐,情焔騰騰,意結累累。

 

雲南  羅雲

曄歌  冬桜花,斗雪報春,燦如霞。

坤歌  緑垂柳,湖底揺影,醉悠悠。

偲歌  胡蝶泉邉,阿鵬操琴,金花高歌,并肩揺。

瀛歌  玉龍山,嬌羞女郎,撩面紗,草坪作毯,白雪為装。

 

青海  阿懐東

曄歌  花正馨,春爛無語,開幽谷。

坤歌  慰渇飢,老夫何幸,得女妻。

偲歌  感君相許,嘆我無能,生涯?簡,愧芳聊。

瀛歌  豊有余,柔若無骨,恋春風,幾度銷魂,羅衾双宿。

 

廣西  蒋宗武

曄歌  夜幕落,江于呆望,痴情漢。

坤歌  路路通,開路先鋒,孔方兄。

瀛歌  春光媚,藝苑花繁,一株鮮,曄坤偲瀛,五洲情聯。

 

廣西  唐甲元

曄歌  連夜雨,暑気全収,夏代秋。

坤歌  喜訊來,短歌賀會,北京開。

偲歌  當年別緒,何堪回首,猶繋相思,長亭蛛B

瀛歌  志初酬,長江裁流,欣将見,平湖高峡,禹甸雄献。

 

廣西  羅善配

坤歌  涙水流,角黍龍舟,人自由。

偲歌  湖面涼波,雙飛紫燕,春宵一刻,千金賤。

瀛歌  高官們,緑酒紅灯,人難寐,譟声陣陣,何時交費。

 

廣西  王松

曄歌  暑日裏,蝉鳴得意,枝頭憩。

坤歌  妄思銭,無可奈何,有誰憐。

偲歌  恋情痴夢,樹下雙雙,相依相似,渾不動。

瀛歌  世間事,鷺蛤相争,漁翁利,三十六計,和為上計。

 

四川  王徳華

曄歌  立峰巒,夕陽倒影,松陰亂。

坤歌  権勢去,門庭冷落,鞍馬空。

瀛歌  嘆紅塵,争権奪位,多宦人,権勢欺人,是小人。

 

 

四川  向策

偲歌  吃人口軟,拿人手短,癒占癒貧,禍不遠。  

瀛歌  匹夫勇,小辱不忍,搶称勇,快了一時,亂了大謀。

 

四川  衡平

曄歌  弔霊均,龍舟競渡,喚詩魂。

坤歌  単相思,儂心有伊,郎何痴。

偲歌  伉儷深情,北上南行,竹軒婚恋,是天生!

瀛歌  地作証,黄帝元妃,誕炎帝,始蠶功徳,日月長明。

 

四川  山夫

曄歌  中秋月,輝映孤影,思歸切。

坤歌  貧官顯,蒼天有眼,星点点。

偲歌  穿林追柳,女伴男随,紅顔一笑,花自垂。

瀛歌  宋文同,胸有成竹,莫骨画,湖州竹派,四絶東坡。

 

陜西  孫憲徳

曄歌  紅蜻蜒,翻飛起舞,食蚊虫。

坤歌  巧婦能,双人飯菜,百人盛。

瀛歌  夜沈沈,三人月下,泪沾襟,紫荊復蘇,和好如春。

 

遼寧  李怡風

偲歌  花蕾初綻,誓結同心,痴情相許,太天真。

 

法國  薛茂理

曄歌  小山重,花明楼閣,月朦朧。

坤歌  柏環階,梅開松壑,故人來。

瀛歌  一團團,山川錦秀,奇雕欄,盆中天地,世上衣冠。

 

浙江  曹勤立

瀛歌  溶溶夜,深深思念,提拙筆,寄情月光,?個吉祥。

 

浙江  徐洪發

曄歌  月中秋,曄歌共唱,楽悠々。

坤歌  莫忘思,為國為民,献青春。

偲歌  情如膠膝,影踪不離,阿哥阿妹,永相随。

瀛歌  望長空,彩霞染紅,巨龍躍,大地春風,郁郁葱葱。

 

浙江  曹勤立

曄歌  中秋月,年々歳々,不用買。

坤歌  聴悪聞,大千世界,人欺人。

瀛歌  攻漢詩,中山榮造,新詩体,知音如雲,美誉千秋。

 

黒竜江 鄭雲程

坤歌  寅虎年,百獣同歓,福人間。

瀛歌  兔年祥,紅眼歓狂,大耳郎,聞風八方,喜莫彷徨。

 

黒竜江 張徳貴

曄歌  爆竹脆,人間歓笑,迎春帰。

坤歌  苦学子,珍惜光陰,忘吃睡。

偲歌  一泓秋水,両葉浮萍,纏綿片刻,浪無情。

 

江西  石道達

曄歌  松葉針,不畏風霜,四季青。

坤歌  東林寺,鑑真故地,浄土師。

偲歌  月下柳堤,男男女女,多是恋人,或夫妻。

瀛歌  抗洪魔,軍民団結,力攀天,無堅不摧,無往不前。

 

江西  王春霖

曄歌  井岡山,十里杜鵑,賞花天。

瀛歌  艶陽天,燕舞翩跿,喧喃語,花紅陌上,柳緑池邊。

 

江西  黄人仁

曄歌  登泰山,回首一覧,衆山小。

坤歌  五十年,建国大典,慶舜堯。

偲歌  風雨同舟,肝胆相照,無怨無悔,好夫妻。

瀛歌  譚嗣同,百日維新,遭君変,草草収塲,血灑燕京。

 

湖北  徐梅

曄歌  圓無缺,稲已熟去,拝花王。

坤歌  詩興起,華箋遠寄,離休后。

偲歌  情意交融,弦弦曲曲,痴坐枉懐,相思債。

瀛歌  振国威,追究是非,香港歸,民恥得雪,大地重輝。

 

湖北  周開華

曄歌  木犀黄,燕子帰来,双脚立。

坤歌  腹便便,改空碧碧,羊腸路。

偲歌  相依細語,戯水池中,蓮葩并蒂,乍歸来。

 

湖北  葉元臣

曄歌  花月夜,潮湧春江,夜好長。

坤歌  珞珈山,心心相連,富士山。

偲歌  潺潺小渓,燕子?喃,登楼遠眺,山外山。

瀛歌  辞扶桑,掛錫神州,四十年,詩嘯空谷,経迷猿猴。

 

湖北  黎凌雲

偲歌  端午年年,竟渡龍船,粽子飄香,弔屈原。

 

湖北  陳家晴

曄歌  亀蛇嵯,長虹碧落,車船歌。

坤歌  紙風箏,直上扶揺,防雨澆。

偲歌  天涯芳草,一帶双嬌,文化圏中,共妖嬢。

瀛歌  春來早,緑柳芳草,池水暖,魚蝦歓躍,鴨鵡競叫。

 

湖北  劉徳懐

曄歌  春駐足,岸柳?烟,聴鳴泉。

坤歌  真良冶,探微引奥,地天寛。

偲歌  霧裏青山,露裏欄干,客子衣單,夢飜残。

瀛歌  小圏歌,露盡春情,堪採頡,縷縷詩魂,奔奔鴎盟。

 

【註】中国人は自国語で書いていますから流暢なのは尤もですが、日本人にしてみれば、簡単とは言っても外国語ですから、ぎこちないのは仕方有りません。此処では交流が目的ですから巧拙は問題ではありません。

 

 

第七章 小倉百人一首

 著首翻案

 句の綴りは大方の理解したと思うので、前掲 1-3 09頁作品の続編を提示する。

 短歌を絶句に書き換える御仁は希に見かけるが、丸い穴に四角い棒を通すようなもの、或いは日本人形に中国服を着せるようなもので、中々に難しい。

 瀛歌への変換は、其れとは基本的に異なり、中国製の布地で作った日本の着物を着せるようなものである。

 

 

 

二十一、素性法師

 

説今去、

却不牽渉、

長月的、

黎明的月、

却出來等、

 

  説今去、却不牽渉、長月的、

黎明的月、却出來等、

 今こむといひしばかりに長月の

有明の月を待ち出でつるかな

 

 

二十二、文屋康秀

 

爲了吹、

秋天草木、

因爲?、

果然山風、

叫説暴風。

 

  爲了吹、秋天草木、因爲?、

果然山風、叫説暴風。

 

  吹くからに秋の草木のしをるれば

むべ山風をあらしというらむ

 

 

 

二十三、大江千里

 

看明鏡、

這愁那惑、

悲哀情、

只我一個、

悲哀秋天。

 

  看明鏡、這愁那惑、悲哀情、

 只我一個、悲哀秋天。

 

 月見ればちぢにものこそかなしけれ

我が身一つの秋にはあらねど

 

 

 

二十四、菅家

 

這旅行、

敝不拿来、

手向山、

錦如紅葉、

神的随意。

 

  這旅行、敝不拿来、手向山、

錦如紅葉、神的随意。

 

 この度は敝もとりあえず手向山 

紅葉の錦神のまにまに

 

 

 

二十五、三条右大臣

 

逢坂山、

如果同様、

是爬蔓、

不為知道、

有臨方法。

 

  逢坂山、如果同様、是爬蔓、

不為知道、有臨方法。

 

 名にしおはば逢坂山のさねかづら 

人に知られでくるよしもかな

 

 

 

 

二十六、貞信公

 

小倉山、

峰的紅葉、

再一次、

如果有心、

等到御幸。

 

  小倉山、峰的紅葉、再一次、

如果有心、等到御幸。

 

 小倉山みねのもみじ葉こころあらば

今一度の御幸またなむ

 

 

 

二十七、中納言兼輔

 

三香原、

涌出出流、

未見川、

何時看來、

親愛的??

 

  三香原、涌出出流、未見川、

何時看來、親愛的??

 

 みかの原わきて流るるいずみ川

いつみきとてか恋いしかるらむ

 

 

 

二十八、源宗干朝臣

 

是山里、

冬天淋有、

很勝着、

人也草也、

因想枯萎。

 

  是山里、冬天淋有、很勝着、

人也草也、因想枯萎。

 

 山里は冬ぞ淋しさまさりける

人目も草もかれぬと思へば

 

 

 

二十九、凡河内躬恒

 

相当折、

如果不折、

于初霜、

弁別不到、

白菊的花。

 

  相当折、如果不折、于初霜、

弁別不到、白菊的花。

 

 心あてに折らばや折らむ初霜の

おきまどはせる白菊の花

 

 

 

三十、壬生忠岑

 

黎明的、

月如無情、

比離別、

勝過拂暁、

苦痛没有。

 

  黎明的、月如無情、比離別、

勝過拂暁、苦痛没有。

 

 有明のつれなく見えし別れより

暁ばかりうきものはなし

 

 

 

三十一、坂上是則

 

拂暁時、

黎明的月、

想是??

吉野村上、

下的白雪。

 

  拂暁時、黎明的月、想是??

吉野村上、下的白雪。

 

 朝ぼらけ有明の月とみるまでに

吉野の里に降れる白雪

 

 

 

三十二、春道列樹

 

山旁邉、

風作了柵、

流也好、

做不能流、

是紅葉葉。

 

  山旁邉、風作了柵、流也好、

做不能流、是紅葉葉。

 

 山川に風のかけたる柵は

流れもあえぬ紅葉なりけり

 

 

 

三十三、紀友則

 

久方兮、

平静的光、

春天上、

情緒不穏、

爲何花落。

 

  久方兮、平静的光、春天上、

情緒不穏、爲何花落。

 

 久方の光のどけき春の日に

しづ心なく花の散るらむ

 

 

 

三十四、藤原興風

 

先別誰、

已経没有、

知道人、

也高砂松、

不是舊友。

 

 先別誰、已経没有、知道人、

也高砂松、不是舊友。

 

 誰をかも知る人にせむ高砂の

松も昔の友ならなくに

 

 

 

三十五、紀貫之

 

人怎様、

不明白心、

是古里、

花在舊的、

同様香味。

 

 人怎様、不明白心、是古里、

花在舊的、同様香味。

 

 人はいさ心も知らず古里は

花ぞ昔の香に匂ひける

 

 

 

三十六、清原深養父

 

夏天夜、

還是黄昏、

結束了、

雲之何處?

月宿在??

 

  夏天夜、還是黄昏、結束了、

雲之何處、月宿在??

 

 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを

雲のいづこに月やどるらむ

 

 

 

三十七、文屋朝康

 

白露上、

風狂吹地、

秋天野、

如穿不停、

玉石分散。

 

  露水上、風狂吹地、秋天野、

如穿不停、玉石分散。

 

白露に風の吹きしく秋の野は

つらぬきとめぬ玉ぞ散りける

 

 

 

三十八、右近

 

被忘記、

不想身世、

做誓約、

人的生命、

可惜可憐。

 

  被忘記、不想身世、做誓約、

人的生命、可惜可憐。

 

 忘らるる身をば思はず誓いして

人の命の惜しくもある哉

 

 

 

三十九参議等

 

浅茅兮、

美野篠原、

承受心、

不能包去、

人恋慕心。

 

  浅茅兮、美野篠原、承受心、

不能包去、人恋慕心。

 

 浅茅生の小野の篠原しのぶれど

あまりてなどか人の恋しき

 

 

 

四十、平兼盛

 

忍受着、

去了表情、

恋慕心、

考慮甚口馬

問的水平。

 

 

 

  忍受着、去了表情、恋慕心、

考慮甚口馬問的水平。甚+口馬=是不是

 

 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は

ものや思うと人の問ふまで

 

 

 

四十一、壬生忠見

 

做恋愛、

我名馬上、

被知道、

因爲没有、

寄着所想。

 

  做恋愛、我名馬上、被知道、

因爲没有、寄着所想。

 

 恋いすてふ我名はまだき立ちにけり

人知れずこそ思いそめしか

 

 

 

四十二、清原元輔

 

做婚約、

相互弄湿、

絞袖子、

越過松山、

波浪没有。

 

  做婚約、相互弄湿、絞袖子、

越過松山、波浪没有。

 

 契りきなかたみに袖をしぼりつつ

末の松山波越さじとは

 

 

 

四十三、中納言敦忠

 

結婚約、

後邊的心、

如果比、

従前那様、

煩悩没有。

 

  結婚約、後邊的心、如果比、

従前那様、煩悩没有。

 

 相見ての後の心にくらぶれば

昔はものを思はざりけり

 

 あと六十首作れば百首になるのだが、これ以上作るとボロが出るで此れで止めておこう。

 提示の作品は「詩語」と言うよりは、殆どが新聞や書籍の記述に使う「書面語」である。

 

 

 

第八章 スマホでの活用

 

総論

 

 スマホは老若男女で、然も世界中に広まっている。そして、メールの使用は相手への拘束も少なく、然も多量の情報が送れるので、その有益性は頗る高い。

 だが惜しい哉、多くの利用者が使用するメールは、井戸端会議の延長とも言える状況である。

 これほど有為な文明の利器が身近な有るのだから、此れを利用しない手はあるまい。

 利用の方法として、要件伝達が第一義であるが、次いで手紙にも使える。

 だが簡単に思えても、スマホの小さな画面では、手紙の文面を整えることはとても難しいのである。然も余程の注意を払わないと劣文に陥りやすい。

 心で思っていることを手紙に書くという作業は、ことの外難しい作業で有る。

 俳句や短歌を嗜む人は、口を揃えて、

 心を顕す手段として俳句に勝るものはないと、

同様に、短歌に勝るものはないと言う。

 それなら相互の心の遣り取りを俳句や短歌とした方が宜しいでしょう。

 

 短歌は、俳句より七七が多いだけなのに、俳句と比べて状況は多分に異なる。

 短歌は誰が作っても誰が読んでも、殆ど同じに解釈できるのである。

 情報の趣旨が一定という事は、情報伝達の手段として実用性のあり、情報手段としての条件である。

 

 

 

8−1 瀛歌

 

 短歌の漢字書きが瀛歌である。

 さて、短歌と瀛歌と、どちらが簡単に作れるのか?

 短歌の場合は誰にでも作れ、誰にでも読めるが、作品のボロが出やすいのである。

 何故かと言えば、短歌は日本語綴りである。日本語は一語一義が多いので、使い方が拙いと直ぐに露見するのだ。

 ところが瀛歌の場合は漢字綴りである。漢語は一語多義が多く、使い方が拙くても、幾通りかの解釈出来るので、拙さが露見しにくいのである。

 

 以下の五首は中国人が作った作品である。

 日本語に意訳すれば、

  親友遠,難述情愿,電話牽,

 親友は遠くで、心の内を述べ難いので、電話をひいた、

穿山越海,蜜語歓談。

山を越え海を越え、愉しい話が出来た。

 

  街道隈。黄昏楊柳,寫我衷。

 街道の端 黄昏の柳 私の心を写している

請不要別!請不要回!

別れないで 還らないで!

 

  君寫吾。赤色小鏡,意不孤。

 君は私を写す 赤い手鏡 独りじゃないの 

君給真心,一起歓娯。

君は真心を給れ 一緒に愉しむ。

 

  退休状,來到早餐。飯卓上,

 退職の通知 朝ご飯の時 テーブルの上

茶和報紙,総是那様。

お茶と新聞と 何時もと同じ。

 

  對君時。無用詩酒,歳月移。

 君に会うとき 酒は要らない 年月は移る

酬新詠未,三歳別離。

新詠に酬い 三年の別れ。

 

 これ位なら、少し器用な日本人なら作れますね!

 

 

 

8−2 日本人の作品

 

 以下の作品は日本人の作品だが、漢語に全くの素人ではない。かと謂って講座を受講した訳でもなく、偶々本屋で「すずめ双書創作篇 綴り方詳説」を買って独学しただけである。

 其れだけの努力と知識でこれだけの作品が出来たのである。然もこの作品は国際通用する作品である。

 

  落花春。萬紫千紅,半是塵。

 落花の春 色とりどりの みな塵と成る

年光易過,竹樹迎新。

年は過ぎやすく 竹や木は新芽。

 

  稲雲黄。隔地相思,兩不忘。

 実りの秋、離れていても相い思い 二人とも忘れない

故郷諍友,繊指淡粧。

故郷の友 か細い指と薄化粧

 

  酪農村。竹馬幾年?到君門。

白髪皺顔,童心意暄。

 

【日語】酪農の村。竹馬幾年か?,君が門に到る。

白髪皺顔なるも,童心にして意は暄なり。

 

  小窗春。一紙憐君,別離人。

照片惜別,枝鶯作賓。

 

【日語】小窗の春。一紙君を憐む,別離の人に。

惜別の照片,枝の鶯はお客さん。

 

  小窗春。一紙憐君,別離人。

照片惜別,枝鶯作賓。

 

【日語】小窗の春。一紙君を憐む,別離の人に。

惜別の照片,枝の鶯はお客さん。

 

  新緑稠。客舎石榴,簾上鉤。

三年濁酒,六腑積憂。

 

【日語】新緑は稠い。客舎の石榴,簾上の鉤。

三年の濁酒,六腑の積憂。

 

  眄蒼穹。凭靠鐵鋤,老土工。

欣遠雷動,恨夕陽紅。

 

 蒼穹をちょっと眄て。鐵鋤に凭靠れる,老土工。

遠くの雷動を欣き,夕陽の紅を恨む。

 

  從冥土,有相呼喚、父與母。

希望待候、到白頭老。

 

【意訳】冥土から、相喚ぶ有り、父と母。

ちょっと待ってよ、老いるまで

 

  禾黄青。栖止農具,紅蜻蜒。

藕耕如夢,夫婦應寧。

 

【意訳】稲穂は黄青、農具に止まる赤蜻蛉。藕耕はずっと昔のこと、夫婦仲は良かったなあ……。

 

  七色美。彩虹小懸,孫撒水。

共楽雅興,獨領天佩。

 

【意訳】孫が水を撒くと小さな七色の虹が架かった。一緒に楽しんだなあ……わたし一人の宝物。

 

  鐘表店,紛紜時刻,互不争。

寂静午后,緩急一生。

 

【日語】鐘表店,紛紜たる時刻,互に争不。

寂静の午后,緩急の一生。

 

  二八臉。明窗一夜,月憾短。

黄髪歎近,青雲路遠。

 

【日語】二八の臉。明窗の一夜,月の短かきを憾む。

黄髪の歎きは近く,青雲の路は遠し。

 

  水皺静。嫩嫩葦境,撫面風。

両三天鵝,青緑萬項。

 

 水皺は静かに。嫩嫩たる葦境,面を撫る風。

両三の天鵝,青緑は萬項たり。

 

  已故妻、生前移植、數畝園。

雨脚飛紅、茗話懐人。

 

【意訳】亡き妻の、生前植えし、狭き園。

雨に紅飛び、茶話に懐いを。

 

  “地蔵尊”。奉献糖玉,轉銷魂。

一霜父母,兩窩兒孫。

 

【日語】“地蔵尊”。糖玉を奉献し,轉た銷魂。

一霜の父母,兩窩の兒孫。

 

  老幹桃。有如迎接,母故郊。

挙起双手,地守神招。

 

【日語】老幹の桃。迎接の如有,母の故郊。

挙起双手,地守神は招く。

 

  衰老體。継承農戸,傳家地。

期望嗣子,編歳時記。

 

【日語】衰老の體。農戸を継承し,家地を傳う。

期望の嗣子,歳時記を編む。

 

  陋巷塵。半世親朋,六十春。

我生計拙,君是天真!

 

【意訳】巷の塵の様に、生き様の定まらない私。半世紀にもなる親しい友人は,60歳の青春。

 私は未だ生活に奔走している身の上なのに、君は確信に満ちた生き方をしているね!

 

 

 

 

8−3 日中の文字の違い

 

 中國の人々は日本人と同じで、同じ内容を話したり書いたりするのに、@話し言葉を其の儘文字で書く。A少し構文を整えて新聞や週刊誌に書く。即ち書面語である。B何というのかは知らぬが、普段の話し言葉では使わない言葉で書く専門書などが有る。

 日本でも中国でも、紙面の書き方は此の三通りで、両者とも殆ど同じである。

 

 旧来の詩歌史と比べたら、瀛歌の歴史は僅かに三十年弱と歴史は浅いが、日中に共通する定型詩歌と言うことで、静かに普及はしている。

 中国人は世界に凡そ五十億人居るというし、世界の彼方此方に「詩詞壇」が有るのだ。其処にはポツリポツリと日中共通詩歌を知っている人が居るのだ。

 簡体字云々と言う人も居られるが、中國の漢字が総て簡体字になった訳ではなく、通常使用頻度の多い、日本の常用漢字と殆ど同じ数の二千字余りで、その他は従来通りで、日本の漢字も中國の漢字も全く同じである。

 簡体字が奇異に見えるのは、簡略化の方法が違ったからである。だが漢字の偏と旁は従来の形態を留めているので、容易に類推は出来る。

 拠って現実には日本で使っている漢字は、中國の何処でも通用するのである。

 先方からの文字は読みにくいかも知れぬが、此方から書き送った日本の漢字は確実に先方で読まれていることは確かである。

 

 

 

 

8−4 スマホで応酬

 

 曄歌は文字数は少ないが、少ない割には格段に難しいのが難点である。それに引き換え瀛歌は少し文字数は多いが、曄歌に比べて格段に易しいのである。

 スマホと言う文明の利器が普及しているのだから、詩歌を愉しんでは如何ですか?

 スマホで日本詩歌の応酬を為している人も居られるが、スマホで異民族・外国人と応酬を為さるのも、人生に意義あることと思います。

 

 なおこのテキストには、押韻とか、句の文字数とか、矢鱈と難しく解説されていますが、多少の間違いが有っても現実には通用した。

 それは俳句や短歌を作る場合も、作る側に誠意があれば、多少の間違いは許される事と同じで有る。

 肝心なのは心掛けの問題である。

 

 

 

8−5 【補解】

 

 日本国内の俳句愛好者の間では、それぞれの作品に対して、対等に評価されるとは限らない。

 何故なら日本国内には俳壇と言う派閥が存在し、各々に派閥の個性、即ち独自性が顕著で、どの作品にも通用する評価基準が確立していない。

 拠ってスマホで不特定多数と交流を為す場合には、短歌の方が俳句よりも独自性が少ないので、俳句よりも短歌の方が少しは無難である。

 

 

 

 

【註】参考までに初心者向きのテキストを紹介すると、

書店で購入可能

呂山 太刀掛重男著 詩語完備 だれにもできる漢詩の作り方

発行所 呂山詩書刊行会

【註】現実に中國詩詞壇との交流を為している詩壇を探すには、GoogleかYahoo!で「漢詩詞」若しくは「葛飾吟社」を検索して下さい。

【註】「漢詩」で検索しても、現実に交流している詩壇は探せません。

 

あとがき

 筆者は漢詩を仲立ちとした中國との交流を続ける中、詩歌の交流が国際交流に有為なものだとの認識を得た。然し詩歌による交流とは謂っても、中國の詩歌は日本人には作れず、日本の詩歌は中国人には作れず、お互いの理解となると、随分遠い存在となってしまう。

 新聞を賑わすような大きな組織に依る交流や、鳴り物入りの交流も必要であろうが、市井の個人が地道に長く続ける交流も又必要で、詩歌による交流は、双方とも費用は自分持ちで、然も郵便料金だけしか要らず、其の立場は完全に対等で、「詩は志を云う」と云う言葉の有る通り、詩を媒介にする交流は、真心をぶつけ合う交流で、これが広まれば、国際交流に一途を開くものと確信する。

 然し日本人が漢詩を創るとなると、相当の努力を要し誰も彼もと言う訳には行かない。日本人は幸いにも四字熟語が好きで、巷の本屋を覗けば四字熟語の本は何処にでも売っていて、殆どの人は理解している。

 其れなら三字句や四字句を使って詩歌は出来ぬものか、中國の詩友とも度々論じあい、日本の詩歌との整合性と、中国詩歌との整合性も確認して、此処に新たな詩形が生まれた。

 川柳や都々逸などは、海外では知る人も少ないが、なかなか興味深いものがあり、中国の詩友に坤歌偲歌の詩形で改写して示したら、理解は予想以上に正確で、筆者の蛇足は必要としなかった。日本で現在漢詩を作れる人は、僅かしか居ないが、三字句と四字句で国際通用する詩歌が作れるならば、恐らく桁違いの人に作詩能力があると言える。

 そこで日中双方だれでも馴染める新たな詩形を創出し、もっと多くの人々に、地道な国際交流に参加して戴きたく、此の提案を為した次第である。

                    著者頓首

  平成三年六月二八日

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

著者

 詩號 中山逍雀

 住所 松戸市

 経歴         葛飾吟社創始者

 中山四短詩発明者   福建省《梅櫻葉》顧問

 中華梅櫻詩会会長 中華新韵学会顧問

 紐約四海詩社基本社友 吉林省《精彩》理事

Wave

 HTML http://www.741.jp/     漢詩講座

 HTML http://www.kanshi.tokyo/ 葛飾吟社

 HTML http://www.741.cc/

 

既刊

 中山逍雀漢詩詞講座 鑑賞と創作  全12巻

 中山逍雀老躬漫歩 霊場奉拝 全5巻

 中山逍雀陋巷閑話 野叟昼夢 全5巻

上記改訂版

すずめ双書 中山逍雀陋巷閑話  全8巻

すずめ双書 中山逍雀漢詩詞聯講座 全13巻

 

 

 青春賛歌 日々好日

 人生謳歌 詩詞鶏肋集

 詩法篇 定型詳説

 詩法篇 叙法詳説

 詩法篇 句法詳説

 詩法篇 對法詳説

 詩法篇 填詞詳説

 創作篇 綴り方詳説

 創作篇 新短詩詳説

 鑑賞篇 詩派詳説

 鑑賞篇 詩詞通史

 活用編 渡海詩詞

 鑑賞篇 日本漢詩

 

 すずめ双書 中山逍雀漢詩詞聯講座

 創作篇 新短詩詳

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